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「好奇心」と「なんとなく」

とりあえず書いてみる。
何を書けば良いか浮かばないし、特に書きたい事がある訳ではない。
このコンテストがあると今知り、今書いてみる。
そう、ただ好奇心となんとなくで今回も記事を書くという選択をした。
沢山の方に読んで頂けるのでは?と、今はちょっとワクワクした心情の昼休み。
お盆明けの少し休みボケな私。

こんな殴り書きで読書の方に申し訳ない。全くただのサラリーマンの為、お付き合い頂けると嬉しい。

今私は29歳と2ヶ月少々。
30歳を目前(後1年弱)にし、何かと人生の選択を急に考えるようになった。

思えば、私の選択は、いつも「好奇心」と「なんとなく」で構成されていた。
そして私の人生は野球無しでは語れない、野球漬けの人生だった。

そんな私の人生のターニングポイントとなる選択は大学進学時である。
大学時代に初めて恩師と心から思える方に出会った。それまでも素晴らしい指導者に出会っていたと思うが、私の考えが幼い事もあり、そのように思えた経験はかつて無かった。

大学進学前に高校時代を前置きとして話しておきたい。それは、高校時代と大学時代とのギャップがなお、私の人生を彩ったからだ。

高校生になる際、私は野球部の特待生としてある私学に進学した。この進学も「特待生ってかっこいいし、受験しなくて良いから良いじゃん」というような、別に進学に関して、ちゃんと考えた事なかったし、なんとなく好奇心で選択した。
当時私は勉強もある程度できた。
どの程度かというと5教科500万点中450点くらい。偏差値でいうと63くらい。うん、すごいやつは沢山いるけど、まぁ平均よりは上なポジション。
だが私の進学した高校は、偏差値40くらいの超がつくほど、バカ学校。(今は違う)親は、公立高校に進みなさいとせがんだ。しかも、当時ちょうど私の進学タイミングで公立高校の無償化が施行された為、なおさらせがまれた。
しかし、特待生がカッコいいという浅はかな考えと、普段優柔不断な私だが、なぜか、ピンと来た時は曲げたくない信念があった為、自分の好奇心を信念とし、親を説得した。
そして、大学は指定校推薦で行けるように勉強することを約束とし親は了承してくれた。

そんな訳で、私の「好奇心」と「なんとなく」により高校に進学した、、、、、、、、、、、、、、、
が、進学して分かった。

ここは牢獄だと確信した。
まず衝撃だったのは野球部の先輩がほぼ全員部室でタバコを吸っていた。そう、、、ここは超が付くほどバカ学校だが、それは超が付くほどヤンキー高校でもあったのだ。

もちろんタバコなんて吸ってる事がバレたら、停学はもちろんの事、野球部としても、高校野球連盟から摘発されれば、対外試合禁止なんて言うまでもないだろう。
だからヤンキーとはいえ、その辺はバレないように工夫されていた。
まずタバコという言葉を発しないように、タバコの事は「Y」と呼ばれる。多分タバコを持つ手がYの字になるからではと今でもその名称の真相は知らない。そして、吸う時は、必ず下級生が見張り役として抜擢される。タバコを吸う場所は基本部室。部室に近づこうとする部員以外を見張るのだ。
そして、タバコを吸うタイミングは、練習前や練習合間の休憩時間。先輩達は、その短い時間でどちゃんと1本吸い切れるように、以上に早いスピードで吸っていた。今考えたら、まじ笑えるが、当時はまじで怖くて笑えなかった。

いかんいかん、エピソードが多すぎて、本題から外れていた。申し訳ない。

私がが「好奇心」と「なんとなく」で選択した高校進学がヤバかった事は伝わったかな。
当然、当時は野球どころでは無く、早く辞めたい一心だった。野球に対しての熱も冷め、練習も真剣にしなかった。何せ後輩が帰らないと先輩が帰れないという謎のシステムだった為、全体練習後の個人練習は、残っていたら早く帰れと怒られた。
個人練習して、先輩に怒られて、しかも殴られる。ヤバすぎるこの高校。

いかんいかん、また本題から逸れていた。
とにかく高校時代は好きだった野球の熱も冷め、特に情熱を注ぐ事なく、時間を過ごした。
今ではすごく勿体無かった時間だと感じる。
でも、それが無駄な時間かと言われると意外とそうでも無い。
それは、大学進学時の高校時代とのギャップが、僕の情熱に火を灯してくれたからだ。


いよいよ人生のターニングポイントと言った大学進学だ。私は親との約束を守り、勉強は行い指定校推薦枠を勝ち取り、無事県内の私立大学へ進学する事ができた。
当時、野球の熱も冷めてた私は、野球部に入らないつもりでいた。サークルとか入ったら楽しいんじゃないか。そんな考えでいた。
だが今考えると人生とは面白い。進学した大学には2個上と1個上に同じ高校の先輩方が在籍しており、共に大学の硬式野球部に所属していた。その2人はヤンキー高校の中でも、真っ当な方で、数少ない信頼できる方々だった。私は2人から入部を勧められ、入部を決断した。
全てはこの選択だった。今30歳を目前とし、明らかに言える。私のターニングポイントはここだったと。この時も私は2人からの話を聞き、「好奇心」と「なんとなく」で選択した。

入部して今恩師と呼べる唯一の方に出会った。それは監督である。監督は選手の考えを聞き入れ、理解してくれる方だった。私のそれまでの人生はトップダウンが前提でそれ以外はあり得ない人生だった。読者に伝わっているか分からないが、私にとって目上の方が、自分の意見を聞き入れてくれるなんて、衝撃的な体験だったのだ。
そして、その監督は非常に情熱があった。目標、目的が明確、そして毎日のミーティングからそれがひしひしと伝わった。叱る事はあるが怒る事は決してない。プライベートな話もできた。当時の私にとってそれはとても、とても魅力的な事で、自分自身目の色が変わった。
なぜか分からないが、練習したくて堪らなくなった。目標を追いかける事がこんなに楽しく、素晴らしい事なんだと知った。
高校時代全く練習に前向きでは無かったし、練習するのが恥ずかしいと思っていた為、初めは、みんなの前で沢山練習するのが恥ずかしくて、家で黙々と素振りをした。素振りを始めると楽しくて平気で1時間くらい経つのだ。動作としては、バット
を持って振るだけだ。でも目標が明確だとそこにシチュエーションの具体的思考が加わる。そう常に実践型の素振りだった。
そして練習を積み重ねると、結果がついてきた。
単純に嬉しかった。本当に嬉しかった。
この成功体験は今でも私の考え方、行動力、継続力、忍耐力に繋がっている。
もちろん私より優れた人間は山ほどいる。だが過去の自分と対比した今の自分はそれ程優れていると実感する。
本当に誘ってくれた先輩方、そして監督、当時の仲間達には今でも感謝している。

やる気もなく覇気もないただの18歳が、1人の恩師と出会いここまで変わるのかと、今改めて思う。
「好奇心」と「なんとなく」=「直感」だと29歳で気付かされた。
あの時あの選択があったからと改めて考えなおさせてもらった、このお題にも感謝したい。
色んな選択をしてきた人生。これからも沢山の選択を迫られるだろう。
私は「好奇心」と「なんとなく」=「直感」を大事に選択していきたい。


そして私は今、また大きな選択をしようとしている。
家族ができ2人の子供にも恵まれた。
安定を求めがちな、現状と現実。

私は2人の親であるが、共に恩師でもありたいし、そうなりたいと思う。
私の恩師のように人生に情熱を持ち、目標持って挑戦する姿を子供達に見せてあげたい。

そう、今年中に転職だ!!!!

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