アメリカ滞在記14

 帰国してから約一週間(書き終える頃には二週間になった)が経った。思ったより時差ボケもなく、不思議なほどすんなりと再び日本での生活に順応できている。ちなみこの記事はもともと帰りの機内で書き始め、冒頭まで書いた段階で残りは帰国後落ち着いてからでもと下書きに残したのだが、ようやく続きをと思いアプリを開いたらその下書きは消えてしまっていた。というわけで心折れそうな気持ちにムチを打って、約3ヶ月のこの旅の記録を締めくくるべく再びタイピングを始めたというわけだ。ちゃんとまとまると良いのだが。

近くのカフェでふと外を見た時の一コマ。

 さて、前回の更新は帰国日の3日ほど前だっただろうか。残りの数日は比較的のんびりと旅の余韻に浸りながら過ごしていた。いくつか行けていなかった場所に行ったり、アパートにいる時間でさえも噛み締めるように過ごした。帰国日は出発が朝早かったので、その前夜にMarianoへ別れの挨拶をした(Vanesaはまだ仕事で遠方に出ていて会えなかったので残念だった)。思い出すだけでも感傷的になってしまうのだが、本当に彼らに出会えて良かったと心から思う。人生の中でも大きな出会いの一つとなったのは間違いない。

最終日の朝。忘れない景色の一つ。

 その翌日は朝7時半過ぎにはアパートを出て空港に向かった。Uberがすぐに捕まらなかったのは予想外だったが、それ以外には大きなトラブルなく機内までたどり着いた。Uberのドライバーはアフリカ出身だという女性で、道中もあれこれと話をしながら楽しく過ごすことができた。そして、音楽好きだという彼女が車内でかけるColdplayが車窓から見える雨上がりの晴れ空にばっちりハマってとても気持ちよかった。高上がりな移動方法には違いないが、こうやってドライバーとたわいもない会話が楽しめるので僕はUberが好きだ。

この青い空もすぐに恋しくなるだろう。

 そして、日本までのフライトは道中とても快適で、大きなストレスなく無事に羽田空港へと到着した。久しぶりの電車やまわりから当たり前に聞こえてくる日本語、そしてアメリカとはまったく違う雰囲気など、日本人でありながらどれもこれも違和感があるという不思議な経験はとても面白かった。そして久々の日本食はどれも感動的に美味しく感じ、もちろんアメリカでの食事の数々も美味しかったのだが、コンビニで買える数百円のペヤングですら思わず一口目で声が出た。おそらくロサンゼルスでの生活で少し落ちた体重が元に戻る日も遠くはないだろう。

帰りの空港で。この度で最後の一枚。

 さて、果たして僕はこの数ヶ月をロサンゼルスで過ごし、たくさんのことを経験し、何を得て日本に帰ってきたのか。まず初めに思うことは、そのほとんどが到底言葉として形容できるようなものではないと言うことだろう。よく海外に行く前後で「価値観が変わった」や「人生観が変わった」などと聞くことが多いのだが、もちろん大枠で捉えればそういうことなのかもしれない。しかし、そんなどこかありふれた、もはやなんだか陳腐にも聞こえてしまうそんな言葉では片付けられない、片付けたくないと思ってしまう自分がいるし、そうするつもりももちろんない。

 つまり、正直に言うとこのテーマに関してはあえてあまりあれこれと書き連ねるようかことはしたくないのだが、ここまで何編にもわたって書いてきた記録の総括としてもシンプルにまとめていきたいと思う。まず大前提として、ロサンゼルスで暮らす中で、僕は「五感」のセンサーをできる限りフルに張り巡らして日々を過ごすようにしていた。目に見えるものはもちろん、まわりから聞こえてくる音や行く先々で違う匂い、時には第六感のような「より感覚的な」ものまで。なるべく広い視野と柔軟な思考で物事を吸収するために、その点には常に意識を置きながら生活するようにしていた。そしてそれは実際に功を制した。

 そしてそれらを総括して僕がもっとも大きなポイントとして感じたのは「柔軟性」だ。具体例を挙げ出すとキリがないのだが、彼らの暮らし方や働き方、何気ない物事や多様化する文化の捉え方など、やはり日本で生活しているだけでは触れることができないであろう柔軟さがそこかしこにあった。もちろんそれらは日々の暮らしの中から何気なく見えてくるものでもあったのだが、加えてそこで生まれ育った友人達やあちこちで出会う人達との会話の中からも感じることがたくさんあった。そして個人的にはこれらに大きく共感そしてリスペクトし、自身の思考や行動にも取り入れたいと強く思った。それらが今後の人生にどのように変化をもたらすのか、今から楽しみだ。

 もちろん細かく分けていけば得たことは山ほどあるが、あえてこれくらいに含みを持たせて総括とすることにする。少なくとも「海外で過ごしてこんなことを感じました。みなさんも是非こうしてみましょう 」なんて価値観の押し付けみたいなことはしたくない。自身の物事の捉え方や考え方なんて多種多様で良いし、だれかに強要するするものではないというのがかねてからの持論だ。そうやって「自分らしく」いることの大切さも改めて感じた旅だった思う。このひねくれまくっている僕の個性が飲み込まれそうになるほどの、強く大きなうねりを常々目の当たりにしてきた。

 なんだが終着点が見えなくなってきたのでこのあたりでぼちぼち終わることにしよう。だいぶ書き終えるまでに時間がかかってしまった。今後だがしばらくは日本に留まり、次の旅に向けて生活の基盤を整えていくことに注力していく。年内にはまた海外に出れるように準備を進めていく。それまではこのブログが更新されることないかもしれないが、何かあれば是非書きたいと思う。ひとまずアメリカ滞在記はここで終わりだ。締めはあえてゆるめに、それではまたそのうち:-)

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