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し(短編小説)


 大学時代のサークルの先輩に、死んだ人のことを詩の題材にする人がいた。
 灰畑金治郎先輩。
 一年生のわたしが恋川大学文芸サークルに入ったとき金治郎先輩は二年生で、既にサークル内でも少し浮いた存在だった。
 金治郎先輩自身は、話してみると優しくて明るい男性だったから最初は不思議だった。でも金治郎先輩の作品とコンセプトを見れば理由はすぐにわかった。
「最初は高校生の頃、ずっと一緒だった飼い犬が死んじまったとき。俺はどうしていいかわからなくて、思い出や好きなところを詩にした。そしたら気持ちの整理がついたし、普段より深みのある詩が書けた。それに、念仏をあげるより墓を立てるより、ずっと供養としてしっくりきたんだ。次に、大学受験が終わった辺りかな、祖父が死んだ。祖父のことも俺は好きだったから、思い出とかを詩にした。詩を書くことが俺にとって葬式で、詩を読み返すことが墓参りなんだって気づいたのはそのときだ」
 金治郎先輩は、大学の食堂で寄ってきたわたしにそんな風にルーツを語った。わたしは食堂のカレーを食べながら、ほうほうと聞く。
「で、俺はサークルに入ってから、死を悼むために詩を書くようになった。そのためじゃない詩を書いても俺はいいものを書けないって気づいたから」
「そうなんすね。金治郎先輩、そしたら大学入学後に十八人もお知り合いを亡くされたんすか?」
「いや。大学に入ってからは、ひとりしか死んでないよ」金治郎先輩はラーメンのスープをレンゲで飲みながら言う。「一年の冬に、隣の家の婆さんがひとり死んだ。尾崎未琴ってタイトルの詩がそれ」
 先輩の詩のタイトルには故人の名前がそのまま使われていた。たまにハンドルネームらしきものもあった。遺族にはきっと、許可を得ていないだろう。
「じゃあ、他の十七人は完全に他人なんすか?」
「うん。ニュースとかで実名ってわかるし。インターネットで人気だった人は実名が出ないこともあるけど」
「完全な他人との架空の思い出とか、好きなところとかを詩に?」
「いや、その場合は報道による遺族とかのコメントや死ぬまでにあったらしいことを調べ上げて、人物像を考察して、その人を愛した人の気持ちになって書くんだ。インターネットの有名人なら、訃報ツイートのリプライ欄とかも材料にする」
 そして金治郎先輩は、そういった経緯で書き上げた詩を文芸サークルの部誌に寄稿していたらしい。でも去年の末に、気持ち悪いから、と載せてもらえなくなったのだとか。
「で、なんでいまもサークルにいるんすか?」
「俺は俺のやること面白いと思ってるからさ。インタレスティングのほうな? だから、誰か新しく来たやつが面白いって思ってくれるのを待つことにした」金治郎先輩はそう言って、わたしの目を見つめた。「あんたみたいにさ」
 ばれたか、と思った。わたしは大学に入る前からずっと期待していたのだ。金治郎先輩のような変な学生を。文芸部に入る前から、普通に生きていたら出会えないような人がいることを期待していた。そういう面白を期待していて、そして出会えた。
 逃すまい。
 わたしは金治郎先輩と連絡先を交換して、ちょくちょく一緒にランチをしたり、必修科目のことを教えてもらったり、誕生日にプレゼントをあげたりした。金治郎先輩はそうした交流のなかで時折わたしに創作論を伝えてくれた。
「つまりさあ、心が込もってることが大事なんだよ結局。美辞を並べて麗句を為すために、信じてもいない慣用表現やエモい比喩を探すんじゃ駄目なの。美醜は結果であるべきで、どちらの結果でもそこに心があるならいい作品なんだ」
「なるほど。たしかに、面白いかどうかと美しいかどうかはあんまり関係ないっすね。言葉は伝えるためにあるんすから、いい感じの言葉より一番近い言葉をこそ選ぶべきっす。わかりみっす」
 わたしが心から共感すると、先輩は嬉しそうに、無邪気に笑った。
「そうそう。あんたやっぱり話がわかるなあ。サークルのやつらは上部だけ頷くだけでピンときてなさそうだったけど、あんたは俺の目だけを見て、話だけを聞いて、理解してくれている」
「だってわたしは先輩の詩が好きっすから。解説も楽しいっすよ」
 そうしてよく話すようになったある梅雨の日、わたしの傘を金治郎先輩が持ち、ふたりで入っているとき、先輩はわたしに言う。
「ところであんたは何が書きたいんだよ?」
「うーん。なんでしょ」わたしは何が書きたいんだろう? とりあえず散文韻文感想文、架空のキャッチコピーを書くのが楽しくて、ずっとそれで遊んでいるけれど、性根はどちらかというと読み専なのだ。それも濫読系。「一貫したテーマはないっすね」
「ふぅん。まあテーマはでっち上げるもんでもないし、なんか起こるといいな」
 そんな風に春が終わって、梅雨も過ぎて本格的に夏に入ると色々と起こる。わたしにも金治郎先輩にも。

 七月の初旬、男性配信者・笹尾くうが死ぬ。先輩は投稿されていたツイートや過去の放送録画やファンの反応を材料に、いつも通りに詩を書き上げた。いい詩だった。
 で、先輩が成人済みのメンバーだけの飲み会でそのことを言ったら、文芸サークルにその配信者を推していた人がいて、
「死んだ途端に興味持ってそれっぽいこと言って共感得ようとするの糞ほどムカつくんだけど。てめえこそ死んでくれない?」
 とその人に泣きながら怒られる。すると金治郎先輩のことが嫌いだった他の人達がやんややんやと加勢した。みんな調子に乗って退会しろコールになった……らしい。
「くそー! 表現の自由はここにない!」
 金治郎先輩はそう言って飲み会を途中退席し、七月末に正式にサークルを辞めた。そうなるとつまらないのでわたしもサークルを抜ける。文章なんてどこでも書ける。
 大学生の長い夏休みが暇になったので、深い友達を他に持たないわたしと金治郎先輩はよく遊ぶようになる。先輩の独り暮らしの家に行ったりプールに行ったりもする。家で詩を書く金治郎先輩の麦茶を注ぐ係りをやるのも楽しい。
 書き終わった金治郎先輩は、お礼に先輩の本棚の本を持ち出していいと言ってくれる。ああこういうの読むんだ、ハードカバー多いな、とか思いながらふむふむとラインナップを眺めていたけれど、ある箇所でわたしは首を傾げる。
「このコーナー、知らない作家さんのがいっぱいあるっす」
「あー、その辺りは同人誌」
「えっちなコーナーってことっすか?」
「なんで読書家なのにエロくない同人誌を知らないんだよ。自費出版って言えばいいか? コミケみたいな感じで、自分で書いた小説を本にした人達がフリーマーケットみたいに売りにいくイベントがあるの」
「なるほどー。そういうの行くんすね」
「まあな」
「先輩は本を作って売ったんすか?」
「まだ。もうちょっとで本として俺が満足できるほどの量が溜まるけど、だからって本にするために書くんじゃ駄目だから」
 まあ、それは先輩のコンセプトに沿わないだろう。数をこなすための供養なんて失礼だし、先輩はどんな訃報でも詩にするわけではない。その死と生前を知って、先輩が衝撃を受けたかどうかが大事だそうだ。
 たとえば笹尾くうの場合、大人気配信者の身で電車への飛び降りを生配信で行ったことが、存在も知らなかった金治郎先輩に衝撃を与えたから詩になったのだ。
 つまり判定はあくまで主観だから、先輩の知り合いの死はほぼ詩になる。じゃあ、わたしが死んだら金治郎先輩はどんな詩を書くんだろう? と思って訊いてみた。
 叱られた。
「あんた縁起でもないこと言うなよ。言霊ってあるぞ?」
 まあ金治郎先輩は衝撃的な死があったから供養のために詩を書くのであって、詩のために死を求めているわけではない。そんな衝撃、ないならそのほうがいいと考えているくらいなのだ。
「ごめんなさい。気をつけるっす」
「全く……あんたに死なれたら、まあ詩は書くけど、めちゃくちゃ寂しいぞ俺」
 と金治郎先輩は言う。この人わたしがいなくなると寂しいんだ、それもめちゃくちゃ寂しいんだ、と思うとちょっとだけ嬉しい。別にだからって連絡を絶ったりしないけれど。わたしだって金治郎先輩がいないと寂しいし。
 そんなこんなで色々と話し、思いながら過ごした大学一年生の夏休みの最後のほう、わたしの十九歳の誕生日……の次の日に流れでやっちゃう。
 先輩の家のベッドで。
 キスからして経験がなかったので色々と衝撃的でどぅびゃーって感じだ。あーもう処女じゃないのか……って思ったところで、じゃあいまのうちだな、とスマホのメモ帳アプリを立ち上げてたぷたぷ書いていく。先輩が注いでくれた水を飲みつつ。
 書き上げたところで金治郎先輩は言う。「何書いてんの?」
「詩です。区切りの詩」
「区切りの詩?」
「はい。読みます?」
 金治郎先輩にスマホを渡す。黙々と読み、いいじゃん、と言って返してくれる。
「あんたの詩で一番好きだよ」
「あざっす。わたしもそう思うっす」
 自分の感じたことを込めたからだろうか、すごく満足のいく出来になったように思う。そしてふと、これっていいかも、と感じる。
 区切りの詩。気持ち的に、何か時期が切り替わったような気がしたとき、元いた時期を振り返って詩に昇華する。そういうコンセプトで作っていくのも楽しそうだ。
「俺とちょっと似てるかもな、コンセプト。完結した時間や気持ちを詩にするというか」
「ああ、そうかもっす」
 自分が切り換わるということは前の自分は置いていくということで、置いていかれたほうの自分は、枯れて心の土に還るのだ。切るはkillで、切り換わるとはそういうことだ。
 区切りは終わりで死は終わりだから、区切りの詩もまた死の詩なのかもしれない。
「……ただまあ、それだけを書くとなると寡作になりそうっすね。わたし、あんまり気分屋って感じでもないんで」
「たしかにな。まあ、本筋だけやるのが正しいってわけでもないだろうし、俺の真似をする必要はないよ」
「そうっすね。深さとか考えずにこねくり回すのも楽しいっすから」
 そう結論が出たところで、日が暮れてきたのでわたしは帰る。ぼーっと電車に乗って自室のベッドに寝てから、そういえば付き合うとか好きとか言わなかったな、と思う。別にいい。わたしにとって面白い金治郎先輩がわたしから離れないなら、なんでも。
 夏休みが明けて後期、わたしと金治郎先輩は自由選択で同じ科目を履修する。浜柄教授が担当で、発音に癖があったり厳しかったり字が汚かったり遅刻したりで評判が悪い。そして十二月、クリスマスの少し前にその教授が亡くなる。
 教授が亡くなったら無条件で単位がもらえる、いや代理を立てるからもらえない、などとしょうもないことを語り合う受講生の狭間で金治郎先輩は浜柄教授の詩を書いて、わたしはそれを読む。
 それで改めて、すごいな、面白いな、と思う。正直わたしは浜柄教授のよくないところばかり目についていたけれど、金治郎先輩はそれらを愛嬌として回収しながら、嘘をつかずにたしかに在った美点を拾い上げて、ひとりの故人を表現しているのだ。
「供養に愚痴や怨み節を込めるのはよくないってだけだよ。死人に口なしなんだから、そんなの卑怯だ。それに、俺はそもそも愛嬌だとも思ってたからね」
「はー。すごいっすね」
 大学からの帰り道、恋川駅でイルミネーションを見ながらわたしたちは話す。蛍の海のようで綺麗だけれど、わたしも金治郎先輩もこういうことはあまり詩にしない。だってデザインされた美しさに感化されて詩を書くって素直みたいで恥ずかしいから。わたしたちはひねくれている。きっと同じくらい。
「金治郎先輩、クリスマスとかどうするんすか?」
「んー、毎年、実家に帰ってこいって言われてる」
「あ、そうなんすか」
「あんたは?」
「午後に講義あるっす」
「へえ。お互い大変なことだね」
 イルミネーションを通り抜けて、駅でばいばいする。それからは講義が被ることもないまま冬休みに入る。
 正月になって、ああこれも区切りだなと思ったので去年のことを短い詩にして金治郎先輩に年賀状を出す。独り暮らしの家のほうに送ったから、金治郎先輩がそれを読むのは三が日が終わってからだった。鏡開きより前には年賀状が返ってきた。

 金治郎先輩の詩が書き貯まったので春のイベントで詩集を頒布することになる。わたしは売り子として付いていくことになる。先輩の家で収録順やデザインについて激論と和解を重ね、黒無地に白い字で『死集』と書かれた一冊が完成した。
 当日、隣のスペースの人と挨拶をするとき、なんとその人が恋川大学の新入生で文芸サークルに入る予定だということがわかる。そういえばわたしも大学二年生になったんだよな、とそのとき思う。
「へえ、抜けたんですか? それはまたどうして」
 と隣のスペースの星野さんが訊く。星野さんは柔和な雰囲気の男性で、筆名は悋輝というらしい。スペースには『螺旋階段のない塔』という本がうず高く積んである。テーブルの下にも段ボールがいっぱいだ。
「なんでってそりゃあんた、あそこに自由がないからさ。俺のやりたいことやってたら排斥だ。倫理的に受け入れられるものだけ許して何が芸術だっての」
「へえ、金治郎先輩ってどんなの書いてたんですか」
「これがそのまとめ。よかったら」
 金治郎先輩は『死集』を星野さんに渡す。五十部あるから、残り四十九部だ。星野さんは恭しく受け取り、『螺旋階段のない塔』を二部くれる。
「あ、詩集なんですねー。いい文じゃないですか。コンセプトあるんですか?」
 『死集』を捲る星野さんに言われ、金治郎先輩はコンセプトを語る。ふんふんと聞き終えた星野さんは、引くどころか、
「そういう作品、僕の好きなバンドも一曲作ってたんで好きです! 応援したいです!」
 と好意的だった。
「ありがとう」
 金治郎先輩は端的にそう返した。判りにくいけど、照れてるっぽかった。自分のコンセプトを受け入れてくれる人がもうひとりいてよかったすね、と思いながらわたしは『螺旋階段のない塔』を手に取る。
「あ、表紙すげえ綺麗っすね。イラストレーターさんにお願いしたんすか?」
「いえ、僕が描きました。挿絵も」
 わたしはびっくりしながらページを捲る。単体でもたくさん売れそうな挿絵がバンバン出てくる。文章も比喩表現が多いけどいい感じだ。
「すごいっすね。SNSのフォロワーどれくらいですか」
「三万人くらいですよ~まだまだです」
 謙遜じゃなく、本当にまだまだだ、という風に星野さんは言った。
 もしかしたらすごい人なのかな、と思った。
 開場時間になる。星野さんのスペースにはたくさんの人が来て飛ぶように売れていく。わたし達のスペースは星野さんのついでみたいな感じで覗かれ、たまに手にとってくれる人がいる。星野さんの本が完売してからはそういうこともなくなる。
 五時間で四部捌けて、四十五部残る。
 帰り道、肩を落とす金治郎先輩に星野さんが言う。
「金治郎先輩、SNSやってます?」
「情報収集用に鍵アカウントでやってるよ」
「なるほど。作品はすごく良いので人脈と宣伝が足りないのかもしれませんね。交流のアカウントを作ってみるのはどうでしょう」
 たしかにそれならもっと売れそうだなあ、とわたしも思うが、でもサークル内で疎まれた金治郎先輩の作風はSNSでも疎まれるんじゃないだろうか、とも思う。
 金治郎先輩は少し考えてから、
「でも、俺は見つけてほしいんだよなあ。この子みたいに」と言ってわたしの背中をぽんと叩く。「純粋に俺のやりたいこと、やってることを面白いと思ってくれる人が読んでくれるのがいいんだ。人間関係のために読まれるってのは違う」
「んー、まあ金治郎先輩にとってそういうのがかっけぇなら否定しませんけど。うん、否定しません。グッドラックです」
 それからわたしと金治郎先輩は星野さんと連絡先を交換して、下車する背中を見送る。電車が空いて、わたし達は並んで座る。わたしのリュックには二十部、先輩の鞄には二十五部の在庫が入っていて重くて、まあ薄いコピー本でまだよかったな、なんて思う。
 金治郎先輩の家に着く。言われた場所に在庫を積む。疲れたようにベッドに横たわる先輩。麦茶を注ごうとしたが、切らしているようなのでミネラルウォーターにする。
 差し出されたコップの中身をぐいっと飲みきった金治郎先輩は、立ち上がって冷蔵庫からお酒を取り出す。
「呑まなきゃやってられないっすか?」
「うん。ごめん、あんた未成年なのに」
「気にしないっすよ。なんなら一緒に呑みましょっか?」
「いや、お酒は二十歳になってからだよ」
 ぶっちゃけわたしは高三くらいに呑んでみたことがあるタイプの人間なのだが、まあそれはいま関係ないだろう。つまみもないのにぐいぐい呑む金治郎先輩の喉を隣で観察する。喉仏がぼこっと出ていて、林檎の欠片でも入ってそうだった。
 二缶くらいで酔いが回ってきたらしい金治郎先輩からぎゅっと抱きしめられる。そのまま流れでやっちゃう。人生二回目だ。先輩はちょっと泣いてて、おいおいって思う。
 悪くないけど。
 済んで、少し酔いがさめたらしき先輩に謝られる。
「ごめん、こんな、酔った勢いで」
「別に、いいっすよ」わたしは服を直しながら言う。
「でも、あんたに失礼だろ」
「それじゃ、死の詩、書き続けてくれるなら許すっす」と言ったところで、部屋の隅の四十五部のことを思い出す。「そういえば在庫どうするんすか? 別のイベントに持っていきます?」
「いや、……もういいよ。間違ってた」
「間違ってた?」
「誰かを悼む気持ちとか、供養の証とかは、不特定多数に見せびらかすものじゃなかったんだって。だから、まあ家に置いておくよ」
 なるほど、とわたしは納得する。言われてみたらそれはそうだった――故人をまったく知らない人に届けるというのも、偲ぶ会とはまた違う話だろう。
 抱えるものの量に惑わされず、コンセプトに沿った軌道修正ができる金治郎先輩は、やっぱり面白い人だと思った。
 と、そこでわたしは、『死集』を刷る前のPDFデータでしか持っていないことに気がついた。先輩に一部ほしいことを言うと、どうぞどうぞ、と言われた。
 コピー用紙の薄い束はホッチキスと養生テープで留められていて、出来にムラがあったけれど、金治郎先輩が独りでせっせとやったと思うと悪くない。わたしはいっとう乱れのある『死集』を受け取った。
 これで四十四部。四、詩、死?

 夏前、大学で取った講義が星野さんと被っていたことがわかる。星野さんは友達がいない……というかあんまり他人とちゃんと仲好くなる気がないタイプみたいだったが、わたしにはよく話しかけてくる。星野さんが神絵師ってことは学内では秘密らしいから、知っているわたしには遠慮なく腹を割れるんだろう。
「っていうかさん付けしなくていいですよー。星野くんって呼んでください」
「そうっすか。悋輝くん」
「うわ最悪。まあでもいいか本名由来だし」
「そうなんすか?」
「麒麟なんです本名」
「……星なのに麒麟なの?」
「え? ……うわ、言われたことなかったです、たしかに……狙ったのかな」
 狙うにしても迂遠だけれど。
 とりあえず星野くん呼びでいく。星野くんはもう次の本を書き始めているらしくて、タイトルは『宇宙に大三角形はない』という小説だそうだ。
 星野くんは大学に持ち込んだパソコンで書きかけのものを読ませてくれる。挿絵を入れる予定のページには、どんな挿絵を入れるか、のアイデアメモだけが書いてある。
「どうですか?」
「まあいいんじゃないすか? 絵柄と噛み合うだろうし、いい感じに刺さる人いそう」
「で、刺さりました?」
「んー、出来がいいって思うくらいっす」
 そう言うと、星野くんは肩を落とす。可哀想だけど、それがわたしの感性なんだからしょうがないのだ。
 星野くんの文章は綺麗で深みがあるし、物語は世界観がしっかりとしていて綺麗だし、挿絵も綺麗だろう。でもそれだけだ。深みって言っても、そういう深みあるよね-ってだけなのだ。そしてそれは悪いことじゃない。そういう深みと綺麗さに救われ癒される人はいっぱいいるだろう。
 実際、星野くんがいっぱい抱えるフォロワーは、星野くんが投稿する絵にも絵つき短編にも感動しているっぽいし。ただ、その人々とわたしは違うってだけだ。わたし以外の大多数に刺さっているのだから、悄気る必要はない……ということを伝えると、星野くんは笑ったけど、苦笑いっぽかった。
 なんかごめんね。
 お昼はわたしと金治郎先輩と星野くんで食べることが多くなる。星野くんは文芸サークルでも受け入れられているようで、サークルの冊子の表紙を描いたり掌編を寄稿したりしている。金治郎先輩は冊子の内容に目を通すと、
「こんなかじゃ、あんたが一番マシかもな。まだちゃんと、借りもんじゃない世界を持ってる」
 と褒めた。星野くんは、ありがとうございます、と困ったような表情を浮かべた。星野くんとしては、よくしてくれているサークルメンバーの作品が自分以下と言われて複雑なんだろうか?
 だからってフォローはしないけれど。
 そんな感じでコミュニケーションを重ねたある日、先輩がもう本を出さないと決めたことを話すと、星野くんは残念そうに肩を落とした。
「僕も、あの本が初めて出したものだったから。次も一緒に新作を出せるのかなって思ってたんですけど。『死集』、よかったですよ」
「ありがとう。あんたの『螺旋階段のない塔』も面白かったよ。主人公の内藤がひねくれててよかった」
「そうですか、嬉しいです。頑張ります」
 食べ終わると、わたしも金治郎先輩も次のコマに講義が入っているから、と立ち上がって星野くんに手を振る。
「あの、先輩がた」と星野くん。
「なんすか?」
「おふたりは、どういう関係なんですか?」
 そう訊かれて、金治郎先輩は考え込む。わたしも考える。先輩と後輩で、それ以上のものではない……とは言えないだろう。友達というにも近すぎるし、恋人同士ではないし、友達以上恋人未満というのも過程みたいな感じで微妙だ。
 で、わたしが答えを出す。
「わたしは金治郎先輩のファンなんすよ。金治郎先輩、面白いんで、推しっす」
「……なるほど?」
 納得したようなしてないような声を出しながら星野くんは頷く。でも自分で言ってこれ以上しっくりくる説明がないのだ。
 教室に行く途中で金治郎先輩が言う。
「今年、俺もう三年生だから。夏ごろにはインターンとかやるつもりだよ」
「あ、そうなんすか。忙しくなっていきます?」
「うん。だからあんた、俺以外の遊び相手を作っておいたほうがいいんじゃないかと思う」
「んー……」そう言われてもなあ、という気持ちになる。予定を埋めるために人間関係を作るのも億劫だし、つまんない人と無理矢理仲好くするのもしんどいし。「別に本とか読んでれば面白いんで大丈夫っすよ」
「そうか?」
「そうっす。ちなみに詩は書かないんすか?」
「それは書くよ、書きたいときに」
「じゃあそれ送ってください。わたしが暇してるんじゃないか不安なら、先輩の詩を読ませてくださいっす」
 先輩はわたしの言った通りにしてくれた。夏休み、読書と勉強をするわたしのスマホに、ぽんと詩が送られることがあって、わたしはそれを読んで感想を送る。会えないぶん、細かく伝えておく。ありがとう、とだけ毎回返ってくる。こちらこそ。
 星野くんは夏休み、前回よりも大きな規模の即売会で『宇宙に大三角形はない』を頒布したそうだ。興味があったら来てくださいとのことで行かなかったけれど。
 SNSで星野くんのペンネームである悋輝というアカウントを見てみると、早いうちに完売したようなので、行ったところで雑談とかが出来るわけじゃなかったな、と思った。だから行かなくて正解だったんだろう。
 それから星野くんはバンバン本を出す。秋に『じゃじゃ馬鈴薯』、冬に『コントラストダスト』を頒布して売り切る。出版社から声がかかって、翌年の秋にはライト文芸でデビューする。
「すごいっすねー、星野くん」
「そうだな。自分で絵も描く商業作家なんて」
 金治郎先輩は羨ましそうに言う。先輩は一般中小企業に入社が決まっているが、作家として生計を立てることへの憧れもあったのだろうか。わたしとしては先輩が、その憧れのためにコンセプトを捨ててセルアウトに走らなくてよかったけれども。
 星野くんの初の商業本『僕と異世界の恋人たち』は、個性豊かなカップル達と主人公の交流を描きながら恋愛の多様性を知り、主人公自身の抱える恋愛についても結論を出す話。純文学の色味もあるラブストーリーで、星野くんの作品では一番面白かった。


 金治郎先輩の研修もわたしの就職活動も始まり、あんまり予定が合わなくなる。卒業論文が忙しくて詩もあまり書く余裕がないそうで、秋ぐらいから全然来なくなる。わたしは先輩の過去作品を反芻しながら大学三年生の冬を過ごす。
 年度末、先輩が大学を卒業して、引っ越す。その前日にわたしと金治郎先輩は三回目の合歓をするが、泣くのはわたしではなく先輩だった。
「最後とかじゃないんすから」わたしは先輩の熱を感じながら涙を拭う。「連絡したいときすればいいし、詩も書けたら送ってくださいっす」
 先輩は、そうじゃない、違う、と言いながら、理由を説明する間もなく泣き続けた。
 それから三月の終わり、わたしは星野くんから告白される。振る。
「ごめんなさい、わたしは金治郎先輩が一番面白いと思うんで、星野くんとは無理っす」
「ファンなんでしょう。推しと彼氏は別でいいんじゃないですか。それとも彼氏だったんですか」
「わたしはわたしにとって面白い人にしか興味ないんすよ」
「……面白いことが、大事なんですか」
「面白い人が大事っす。世界への希望っすから」
 四月、わたしは大学で話し相手がいなくなるが、卒業論文と就職活動で忙しくなったから関係なかった。金治郎先輩も忙しいようで関わりが薄くなるし詩も来ない。
 追悼も供養もなおざりじゃあ不敬だから、余裕がないなら書かないんだろう。
 あっさりと一月になる。
 就活も卒論もようやっと落ち着く。
 星野くんが死ぬ。
 死因はわからないが、悋輝としてのアカウントで代理ツイートがされる。葬儀は親族のみで行ったそうだ。
 わたしはびっくりしながらも、金治郎先輩はこの死を題材に書くだろうか、と思った。
 書くだろう。金治郎先輩は星野くんの才能を認めていたし、それに衝撃的なはずだ。
 次の日曜日の夕方、先輩に電話をかける。出てくれる。
「もしもし。いま大丈夫っすか」
『ああうん、会社終わったとこだし。というか、あんたと話すの久しぶりだな』
「そうっすね」
『就活どうにかなった?』
「なんとかなんとか。そうだ、一社、好きな本を訊いてきたので金治郎先輩の本の話をしたら落ちたんすよ」
『あはは。まあいまどきそんなことを訊いてくる企業はよくないから、よかったでしょ』
「あ、そうなんすか。金治郎先輩に守られたんすかねえ」と言いながら、さっさと本題に入りたいなとわたしは思う。切り出す。「あの、星野麒麟くんっていたじゃないっすか」
『いたね。元気かな?』
「死んじゃったみたいっす。SNSで発表してトレンドにも入ったんすけど」
『え……いや、見てなかった。……本当だ、なんで』
「わたしもびっくりしましたっすよ」
『うん、俺もびっくりだ』
 金治郎先輩は星野くんの死に衝撃を受けた。だったら。
「じゃあ、金治郎先輩、星野くんの詩を書くんすか? 供養として」
 すると先輩は言う。
『いや、書かない』
「……書かないんすか?」
『去年くらいからかな。なんとなく間違ってる気がしていたんだけど。会社の飲みで大学時代の話したら言われたんだよ。そんなの他人の死を悼む自分に酔ってるだけだって。普通はそんな多方面に失礼なことしないって』
「……普通」
『正直、恥ずかしくなっちゃったよ。そうかもって、俺、思った。詩に昇華することで死を消化することの達成感に、陶酔してたんだろう。でも本当はそんなことのために他人の死を使うべきじゃなかったし、あれこれ調べるべきじゃなかった。死は作品で供養するものじゃない』
「じゃあ、どう供養するものだって言うんすか」
『故人の望む方法。入ってる宗教とかも含めて。自分なりの供養とか、供養のようなものとかじゃなくて、メタファーやオリジナル儀式じゃなくてもっと真面目に祈るべきなんだ。それが誠実さだってわかった。形式をなぞることはつまらないけれど、それは無駄がないからなんだ。それに故人の意思は最大限尊重されるべきだから、故人にとって反応に困るくらい遠い、故人の宗教も知らないような赤の他人の俺の、身勝手な供養は間違っているんだ』
 わたしはそこで電話を切り、電源を落とす。それから自室のベッドに寝そべって、深いため息をつく。
 そのまま起き上がれなくなる。薄暗い部屋のなかで、いつの間にか静かに泣いている。
 金治郎先輩がつまらなくなってしまった。あんなに面白かったのに。わたしはあの面白さが好きだったのに、いつの間にかしょうもなくなってしまった。憧れるほど魅力的だったのに、支えたくなるほど興味深かったのに、すっかりどうでもいい存在になってしまった。
 わたしの唯一だったのに、誰かの有象無象になっちゃった。
 もう死の詩は書かれない。
「金治郎先輩は、もう、おしまいなんだ」
 そしてそれは喜ばしいことだ。わたしは理解している。金治郎先輩の面白さは集団に合わない。だから金治郎先輩は、倫理にもとる面白さを捨てて、集団で生きられるようになったのだ。幸せなことだ。わかっている。
 わかっているけど。わかっているから。
 そんな普遍的な流れに落ち着いたことが、くだらない成長を金治郎先輩が受け入れたことが、こんなにも。
「……詩、書こう」
 涙がかわいた頃、わたしはむくりと起き上がって、ノートに向かった。面白かった金治郎先輩が終わってしまったから、出会いからここまでのことを、区切りの詩として書くことにする。
 その材料として、金治郎先輩の持っていたコンセプトを書き出しながら、これも供養かも、とわたしは思う。アイデンティティを捨ててつまらなくなった金治郎先輩。
 区切り、切り換えた先輩。
 killing還った先輩。
 だからこれは死の詩だ。面白かったときの先輩を供養するのだ……と思って書いているといつの間にか小説になってしまう。私小説。でも金治郎先輩の面白さが死ぬまでの話になったから、死小説でもあるかな?
 書き終えて、タイトルに悩む。色々と浮かぶが、どれも小綺麗なばかりで内容をきちんと表せているとは思えない。考え疲れて、もういいよ、『し』でいいよ……と書き込んでみると、思ったよりしっくりくる。
 そのタイトルが相応しいと信じることができる。
 そうだ。
 真実の言葉ほどシンプルなものなのだ。


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2021年末にTwitter小説として投稿した純文短編『し』の再掲でした。

同アカウントにて投稿されているTwitter小説『ころして』はnote等に投稿する予定はないのでよければTwitterよりお読みいただければと思います(好評いただいていました)。

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