【持論】ボランティアだけはしない理由

ひろぴょんは「ボランティアだけはしない」人である。

「今の仕事だって、ボランティアみたいなものじゃないか!!」

と突っ込まれそうなものだが、ひろぴょんがボランティアをしないのには理由がある。

それは「人工0円のサービスなんてこの世に存在しない」からだ。

世間一般では、報酬を求めないサービスの事を「奉仕」とか「ボランティア」とか呼んでいるが、これだって「人工は掛かっている」訳だ。

仮に「報酬を求めない」と、サービスを提供する人が「決めた」事ならばそれはその人の「判断」なので、それはひろぴょんも「尊重する」のだ。

だが、問題はここからだ。

それは「サービスを受ける側」が「無償であることが当たり前だと思いこむ」様になってしまう、これが良くないと思うのだ。

何故かといえば、これを許してしまうと「サービスを受ける側の甘えを助長してしまう」結果になる事が殆どなのだ。

つまり、ひろぴょんが許せないのは「甘え」の部分、この一点に尽きる。

本来、コミュニティーというものは「相互扶助」によって成り立っているので、「困ってる人がいれば助け合う」のが基本である。

しかし、これはあくまでもたすけ「あう」のであって、「一方的に助ける」訳ではないのだ。

お互いに足りない部分を補い「合う」事で「補完」され、生きていく事ができる様になっている、それが「コミュニティーの本質」である。

一言で言えば「ギブアンドテイク」が大前提の話なのだ。

しかし、中には一部、「テイクアンドテイク」を目論む「不届き者」がいて、そういう奴等は助けてもらうだけで助けてあげる事をしない。

もしそれが「助ける事ができない」のであれば、それは致し方ない事であり、それに対して文句を言うつもりはない。

しかし一方で「助けてもらう事が当たり前だと思い込んでいる」不届者が現れてしまい、始末に負えなくなってくるのだ。

故に、ひろぴょんは「ケジメも大切」と考える様になった。

ひろぴょんはこれにケジメをつける為、「人工0円のサービスは存在しない」事を相手に示す為、「ボランティアだけはしない」と決めたのだ。

これは半ば「信念に近いレベル」のものである。

必要不可欠なレベルの「甘え」ならば何とも思わない、しかし、不要なレベルの「甘え」は許さない、これがひろぴょんの「スタンス」なのである。

何故なら、ひろぴょん自身も「余裕がある生き方ができている訳ではない」のだ。

いつも「限界ギリギリ」のところで生きている。

だから、単なる「甘ったれ」レベルの「甘え」に付き合う余力なんてないのだ。

なので、そういう「不届き者」には「まず自分で出来る限りの事をやってくれ。それでも駄目なら手を貸す」と言っている。

それが「本来あるべき姿」だと思うからだ。

故にひろぴょんは「無償であることが当たり前な世の中にだけはなって欲しくない」と思っている。

ひろぴょんの考え方は間違っているだろうか!?

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