White Surfの短歌いいよね
短歌が楽しい。解説が楽しい。全てが楽しい。全てがどうでもいいよ 皆さんは私に出会ってくれて、どうも、に.に.にこにこ...( ᐢᢦᐢ )
全てが楽しくてありがとう。
胃がムカムカするのは暴飲暴食のせい
合唱の持つエネルギーは・昔の記憶の再現の再現の再現......(永遠の記憶の再構築)・たくさんの声が合わさることによる多大なる倍音?・歌詞が真っ直ぐ
てとこだとおもう。
雑草が生い茂る公園から一気に天国へと情景が変わっていくという大きなイメージの飛躍。また、その公園から何故か天国を想起したところにある種の安心感と納得感がある。
手を食むことを許容し合う関係の異常性。そして、その可食部から生きるためのエネルギーを摂取している様子からはゆったりとした雰囲気が想像され、そこには三月の風に通ずる感覚がある。
光=湯である。という決めつけにより、光と湯という流体が広がり、 イメージの中で空間が立ち上がる。 読者はこの歌の主体となり、 ′′君′′がそれを渇望する様子を眺めるという関係が生まれる。光や湯が広がるイメージは、風の物質感とリンクし、 ′′君′′の希求は私が3月の風による感情の希求にも繋がっている。
ひとよ ひとよに ひとみごろ まで、誰しも聞き覚えのあるリズムを置くことにより、七五調では無いが短歌として成立させる。このようなゴロにはそういうパワーがあるというところが先ず面白い。そこからひとみを(瞳?仁美?Hitomi?)探していると繋がっていく。話者には割り切れない思いがあるのかもしれない。
ドーナツの穴は生地をあげる際に爆発し形が崩れないためにある。大切な真ん中がかけている″あの人″は何かを犠牲にしていそうな気がする。
あの人に似ているドーナツ?
意外と想像がつく。フレンチクルーラに似ている男性には性的魅力がありそう。ポンデリングに似ている男性は面白い話はしてくれないけれど積立NISAやってそう。
エンゼルクリームに似ている女性は、笑いたくない時は笑わなくていいという所に自覚的になって欲しい。
覚えています。1年半前に夢の中で会いました。起きてから凄い嬉しくて悲しかったです。そして、私なんかに会ってくれるのか!?!?と、、、、ありがとうございます。私は大好きな人に会うため、天国へ行くためにこれからの人生はそれ相応の道を歩んでいかなければなりません(ナチュラルな仏教?)
君=肌寒い雨の日の朝 で繋がる人は割と少ないのだろうか。人への愛情と気候への愛情は全くベクトルが違うように感じる。だが、肌寒い雨の日の朝のパキッと澄んだ空気が体を優しく刺激しつつも纏わりつくあの体感。それと同等な人への想いは凄く美しい。きっと、気候を他人事だと思ってなく、人間くらい愛していて、君のことを少し人離れした自然な概念で好いているのだろう。
口に出したら心地が良い短歌を目指した。ぽわんぽわんな火炎というとファイアーマリオの火の玉をなんとなく想像するが、、氷嚢を持ってきてくれるからすごい優しい。
(2024.03.24に追記
振りをしているからこの犬は優しくないやん!てか咥えるだから持ってきてくれてるわけでもないやん!咥える振りする犬🐕は、あっ持ってきてくれるかなーあっ持ってこない、あっ、あー、、うんうん、
あー、ってなる)
風╱あの時と同じ雰囲気 で、いきなりドキッとさせられるこの歌。(風 あの時とで7音で読ませるのは、お洒落てる)ひゅるひゅるだった空気がいきなりもったりしてしまう。男女が手の大きさを比べ合ってる時の気持ち悪さがある。
そうだね
うん
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