見出し画像

成功体験という足枷

アメリカに住んで20年以上経ちました。Y2K問題でやいのやいの言ってた20世紀の終わりにこっちに来た当時、お店に行くと家電製品は日本製品だらけでした。異国にいて自分の国のブランドをいろんな場所で目にするのは、なかなか誇らしかったです。そして20数年経って、それらの家電は韓国製に全て変わりました。私はグローバルでのポジションで10年以上働いていたけれど、ターゲットのマーケットとされるのは中国、そして最近はインド。日本のプレゼンスがどんどん薄くなっているのを肌で感じてきました。ドイツ人の同僚に「80年代は日本はすごく勢いがあったけど、最近どうしちゃったの?」って聞かれたこともあります。

大きな問題には大抵いくつもの理由が複雑に絡み合っていて、原因は一つや二つじゃないことが多いと思います。日本のプレゼンスの低下と言うか、日本が衰退しているように見える原因も一つだけじゃなくて、いろんなことが複雑に作用しているのでしょう。少子高齢化を理由に挙げる人が多いし、これは分かりやすい説明なので納得感があり、私も少子高齢化が原因の一つであるとは思います。そして私の考える大きな原因の一つは日本の成功体験が大きすぎたということ。

戦後、私達の先輩が非常に頑張ってくださった。若い方はご存知ないかもしれないけど、昔は土曜日は休みじゃなくて公務員だった私の父も「半ドン」と言って土曜日は半日働いていました。週休2日は私が若い頃に普及し始めた制度。そして日本はどんどん豊かになっていきました。人口も増えました。世界中が日本に注目し、ジャパン・アズ・ナンバーワンなんて本まで書かれました。今日より明日の方が世の中は良くなるって感じでした。そしてバブルが弾け、失われた10年が20年に。そして30年になりました。

新人類と呼ばれた世代の私はバブルの恩恵はあまり受けませんでしたが、東京で働いていたこともあり、それなりにバブルの記憶はあります。華やかな時代を経験してみて成功体験って怖いな、と思います。そして成功体験の怖さは個人にも当てはまると思うので、今回は成功体験の怖さと、どうすればこの足枷を外すことができるのかを考えてみました。

成功体験が足枷になる理由①同じやり方にこだわる
何かがうまくいった時、うまくいったやり方をくり返すことはありませんか?再現性があるやり方を繰り返して成功を継続して収めるのは成功への王道だと思います。でも時代が変わったりプレイヤーが変わると、今までうまくいっていたやり方が全く役に立たなくなってしまうことがあるんですよね。物を早く安く大量に作って売って、それで成功できていた時代はとっくに過ぎたのに、何故か今も安くて良い物を作ることに一生懸命になっていたり、製造業での働き方を前提に8時間の時間拘束に拘ってみたり。ひと昔前のやり方からなかなか脱却できていないことが日本の衰退の一因なのではないかと、のびのびと楽しそうに働くシリコンバレーのエンジニア達を見ながらよく思っていました。自分のことを振り返っても、歳をとって体力が衰えている今では若い時のような働き方はできません。昔はひたすらガシガシと時間を気にせず働いていましたが、今はタスクの終わりを決めてそこから逆算して行動するようにしています。時代が変わればツールも変わります。ひと昔前にはSlackもZoomもありませんでした。昔ながらの電話とファックスに頼っていたら生産性は全く上がらないし、仕事のスピードも遅くなる一方でしょう。やはり時代に合わせたツールの使い方や働き方を取り入れて「昔はこうやってうまくいっていた」っていう考え方はゴミ箱にどんどん捨てていくべきでしょう。目指す場所は変わらなくても、そこに到達する方法は色々とあると思うので、いろんなやり方を試してみるのが足枷を外すことになると思います。

成功体験が足枷になる理由②傲慢になる
まあ気持ちは分かります。私もディレクターに昇進した時、周りの人たちが私の意見に耳を傾けてくれる確率が格段に上がって「タイトルが付くってこういうことか」って思ったことがあります。そして、これからは気をつけなきゃいけないな、とも思いました。ランクが上がるということは、私が間違ったやり方をしていても指摘してくれる人がどんどん減っていくということでもあったからです。少し出世したからと言って人の話を聞かなくなったり、自分のやり方を周りの空気を読むことなく押し通したり、素直に「教えてください」が言えなくなると、次のステップに進むことが非常に難しくなると思います。そして敵を作ってしまって所謂ハシゴを外されるみたいな状況に陥ることもあるでしょう。ある程度成功しても、必要なのは謙虚な気持ちと常に学ぼうとする姿勢だと思っています。これで良いと現状に満足した瞬間に成長は止まってしまいますからね。日本での出遅れ感は、日本のやり方をそのまま海外に持っていこうとしたことも一因なのではないかと思います。グローバルでビジネスを展開する現代において、英語の下手さや意思決定の遅さは致命的です。多国籍軍で攻めてくる外資系に立ち向かうには、多国籍軍の陣営を組んでいかないと対等に戦えない場面も多くあるでしょう。そして女性活用の遅れについては悲惨すぎて言葉もありません。これも残念ながら、ある意味企業戦士の傲慢さが原因になっている結果なのではないかと思います。謙虚な気持ちを持って、様々な背景を持つ人達の才能をフルに活用する仕組みを日本の組織は考えていくべきだと思います。

成功体験が足枷になる③今の状態に満足してしまう
日本の停滞の一因は「日本は綺麗だし、安全だし、食べ物も美味しいし、良い国だよね」と満足してしまって先人の築いてくれた成功にもたれ掛かっている結果なのかもしれません。私達の今日は過去にしてきたことの結果です。そして今日の行動が未来を作っていきます。英語でComfort  Zoneと言いますが、自分の心地良い場所を出ない限りは成長しないと思います。30代前半からアメリカで生きてきた私がそれなりの生活ができているのはComfort  Zoneから一歩踏み出した結果だと思います。アメリカで大学に行く術など全く知らなかったけれど、35歳の時に近くにあったコミュニティカレッジに思い切って登録したことから私の大学生生活が始まりました。この時は正直、本当に怖かったです。35歳で大学に通って若いクラスメート達にバカにされるんじゃないだろうか。英語で授業を受けてついていけるんだろうか。フルタイムで仕事をしながらだったので夜学に通ったのですが、仕事と家事と育児と学業と、全部ちゃんとできるんだろうか?不安しかありませんでした。でも蓋を開けてみるとコミュニティカレッジの同級生はみんな良い人だったし、30代どころか40代や50代でクラスをとっている人もいたし、仕事も家事もなんとかなったし、娘もちゃんと育ってくれました。あの時思い切って大学に行って本当に良かったですし、あの決断がなかったら今の私はありません。当時の私は成功体験など何もなかったのでComfort Zoneを出るメリットしかなかったのですが、あの時下手に成功していたらここまで成長できていなかったと思います。やはりある程度成功すると、このままで良いという感情が強くなったり、守りに入って現状維持を求めてしまう傾向が強くなるのではないでしょうか?実は50代も後半になった私も感じていて、もうちょっと自分の背中を押さなきゃいけないかな?とも考えています。いつまでもハングリーなのはどうかと思いますが、新しい冒険を探して知らない領域に挑戦する気概は何歳になっても持ち続けていきたいと思っています。

私のシリコンバレーでの知り合いの方に70代になった今でもスタートアップを渡り歩いて生き生きとされている方がいらっしゃいます。大金持ちの筈なんだけど、全然そんな素振りも見せないし、新しいビジネスを育てていくことを心から楽しまれているみたいです。成功体験に驕らず寄りかからず、謙虚さを忘れずに新しいことに挑戦し、知らない世界を覗く好奇心を持ち続けて生きていきたいと改めて思います。成功体験は足枷ではなく、人生の糧にしていきたいですね。

みなさまからいただく「スキ」がものすごく嬉しいので、記事を読んで「いいな」って思っていただけたら、「スキ」や「シェア」をしていただけたらとても嬉しいし励みになります!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?