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大好きなフィギュアへのもやもやについて

ロシアをめぐってまた揉めそうな気配が出てきた。

もやもやすることの第一点は、スポーツである以上得点の要素を突き詰めていくことの何が悪いのか、私の中ではっきりした答えが出ないこと。

スポーツである以上戦略をもって高得点を狙いにいくのは当たり前。そして中には20歳を過ぎてから能力を伸ばす人もいるけれど、多くの場合女子は身体の軽い年齢の低い時の方が高難度のジャンプが跳びやすい。体重を増やすまいとして摂食障害を始めとした精神的な問題を抱える選手もいる。

ここ数年女子シングルの上位を席巻しているロシアの女子シングル選手は、15歳前後で活躍して、20歳前には競技の第一線から退いて他の道を見つけていく印象がある。トゥクタミシェワ選手はトゥトベリーゼコーチのチームではないので、今のロシアでは例外の方に入っている。

スポーツである以上戦略をもって高得点を狙うのは当たり前。女子は低年齢の方が高難度のジャンプを跳びやすい。

スポーツである以上、技への果敢な挑戦がなされるのも当然。ただ優雅さを競うのならジャンプをせずにエッジワークの美しさと曲の表現に絞った、アイスダンスのような形にすればよい。ジャンプが採点項目に入っている以上は跳ばなければ。

年齢が上がって思春期が終わり、さまざまな経験を重ねたからこその表現力は美しいけれど、表現だけを求めたらそれはスポーツではなくなってしまう。どんなに情感のこもった演技をしても、ジャンプが跳べなければシングルの演技として成立しない。

ここを突き詰めていくと、オリンピックの参加可能年齢に照準を合わせて、その年に規定年齢に達する選手から有望な者を絞り、徹底的に育成してメダルを獲りに行くという考えになるのも、勝負の世界として考えたら自然といえば自然。

でも、その過程でもし旧ソ連をはじめとした東側諸国が行っていたような非人間的ともいえる育成方法がとられていたら、それはスポーツといえるのだろうか。

美しさとスポーツとしての技の追求と、どこが融和点なのかはっきりとした意見が持てなくてもやもやする。

もう一点は、見ないようにしていた疑問がどうしても湧いてきてしまったこと。

純粋な練習のみの育成方法で一人のコーチに、同時期に何人も、しかも全てロシア人の四回転ジャンパーが集まるのだろうかという疑問は心の片隅にずっとあって、それが今回の報道により否応なく大きくなってしまった。

素晴らしい選手を何人も抱えているコーチはいるけれど、一人のコーチのチーム内に全て国内の選手、そして何シーズンにもわたって次々に新しい世界トップが出てくるということはあり得るのかな、と思ってしまった。

フィギュアスケートの競技人口が違う、ロシアの人口が違う、国としてフィギュアスケートへの力の入れ方が違うなどで究極的にリソースを集中させれば可能なのかもしれない。でも、これまでの経緯のせいでどうしても…と思ってしまう。

今回検出された成分がどのような経緯で体に取り込まれたものかは分からないけれど、うっかり服用してしまったという性質のものではないだろうと思う。また、一度使っただけでは練習効率を上げることはできないので、もしパフォーマンスの向上を目的とした摂取であれば継続的なものであるのだろうなと思ってしまう。

私は研ぎ澄まされた美しさのロシアバレエが好きで、高校生までずっとピアノを習っていたこともあって独特の暗さのあるロシアの作曲も好きで、ロシアという国に魅力を感じている。大好きなフィギュアスケートの選手の中でも特にヤグディンがソルトレイクシティーで金メダルを獲った時のプログラムはSPもFPも両方、今でも全選手の中での好きな演技の中に入っている。

そもそもどうしてフィギュアスケートが好きなのだろうと考えてみる。私は、アイスショーは好きだけれど、どちらかというと競技会の方が好き。一回だけのチャンス、たった数分にこれまでの練習、そして人生そのものを垣間見える瞬間に感動するし涙する。

この気持ちへの答えは出るのだろうか。



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