見出し画像

"慣れ"に慣れるは依存症

桜も綺麗に咲き、散り始めている今日この頃。
春は終わりと始まりの季節。しかし終わりと言うのはまた新たな始まりであるから、私たちに終わりはないのだ。
私の息子も4月生まれとあって、公表はしないが季節の名前を付けている。そんな息子も、もう4歳。赤ちゃんではなく、すっかりお兄さんになってきた。悪戯っ子だが、しっかりお手伝いを進んでする良い子に育ち私は嬉しい。

今回は"子育て"という観点からお話を始めたいと思う。
まず、決して子供に手を挙げてはいけない。
昨今は虐待事件などが世の中に警鐘を鳴らしている気がしてならない。
私も、子供に手をあげるなんて決していけないと考えているが、実際に子育てというものに直面すると度々手が出てしまうのが正直なところだ。
その度に自責の念に首を絞められ、無限の反省と後悔の念が波のように押し寄せてくる感覚だ。
しかし、この自責の戒めが私を止めるのだ。
"決して慣れてはいけない"のだと。

これが慢性的に続いてしまうと、言わば【躾】が【虐待】と姿を変える。
書いていて初めて気づいたが躾とは
"身を美しくする事"と書くため、決して傷つけてはならないのだ。

悪事を悪事と認識するが、誰にも咎められないから「少しくらい良いか。」と慣れてしまう事が本当に恐ろしくてたまらない。
これは、虐待をはじめ"いじめ" "万引き" "飲酒運転" "薬物乱用" など、全ての犯罪や非道徳に通ずる事だと私は考える。
コミュニケーションの観点からしても、
「皆優しいから少しくらいイレギュラーを起こしても許してもらえる。」
などと、自身を甘やかすような事をすると周りからの評価や信頼は、みるみる内に地の底へと叩き落とされてしまう。
先日、似たような見解の記事を書いているので貼っておく。

先ほども話した、自身が犯した罪を罪として背負う事。これをしないとその行動は慢性的になっていく。
怒ると壁を殴ってしまうことがないだろうか?
意見が通らないと拗ねてしまうことがないだろうか?
声を荒げてしまわないだろうか?
泣いて話を終わらせたりしてないだろうか?

ちゃんと思考を張り巡らせて、新たな対処法等を身につけておかなければ、後戻り出来ない所まで来てしまう。

私達はこれを

"依存症"

と呼びます。

言いたいことはタイトルに題した言葉通り

【"慣れ"に慣れるは依存症】

ということだ。

ましてや、30代に差し掛かってくると自身の性格や習慣を変えると言うのは困難を極めます。

コロナ禍で仕事もプライベートもストレスだけが増えていく世の中。
どうか子供たちをその吐口にしないように。
私達大人が未来ある子供たちの未来を照らしてあげれるように。
日々気付き、学び、成長していく必要があります。
最後に、最近テレビCMかnoteで見たか忘れましたが、なんかで見た心に刺さったネイティブアメリカンの言葉を載せます。


「この地球は、先祖から継承したのではなく、私たちの子どもたち、子孫から、借りているのです」

この記事は自分への戒めとして書いておくこととする。


最後までお読み頂きありがとうございます。
読んでみて良ければ是非、スキして頂けると励みとなりますのでお願い致します。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

528,184件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?