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言い訳バリア

鳥の鳴き声と街の喧騒に反応して目を覚ます。
いつもと同じ部屋。同じ天井。
しかし、いつもとはなんとなく雰囲気が違う。
明るさなのか?カーテンは閉まっているのに。
携帯をとってみると時刻は9:15
私は毎日7:00に起きて8:00には家を出ないと会社に間に合わない。
私の頭の中のハードディスクのような部分がフル回転で動き始める。そしてフリーズする。

これは例文ですが、誰もがこんな経験した事があるのではないでしょうか??

こういった場合、素直に寝坊した旨を伝えて謝るのがベストなんですが、嘘か本当か何かと確かめようのない理由をつけてくる人っていますよね。

確かに何らかの不都合や理由があってのイレギュラーなんですが、例えば仲良くもない同僚が理由をつけて遅刻したところで別に

"どうだって良い"

と言うのが本音な所。笑

こういった人間は自信過剰な人に多い気がする。
仕事の話やプライベートな話に関しても自身の知識で覆い被してくるし、
「でも」「だって」
という枕詞から返答を始めてくる。

個人的な偏見かもしれないが、私はそう思うのだ。

私自身、アルバイト時代
それはもう呆れるくらい寝坊の常習犯だった。
不思議なもので今となっては寝坊する事自体がほぼ無いに等しい。と言うのも、子供が生まれ子供に合わせた規則正しい生活をしているからだと考える。
当時、私も何かと理由をつけていたと思う。
"アラームが何故か鳴らなかった"
"携帯の電池が切れていた"
など、正当化する事ばかり考えていた。
そして当時の私は"自信過剰"であったと考える。

しかし残念な事に、これらの理由は全て
"自身の不注意"から始まる人為的ミスなので、
責任転嫁を行ったとしても、それはブーメランのように"不信感"という付加効果を持って帰ってきます。

私達はこれを

"言い訳"

と呼ぶのだ。

一度や二度のミスに言い訳を付けたところで、世の中には優しい人達が多いので、大概は難癖つけずに許してくれます。が、
「あ、これでも許してもらえるんだ」
と言う認識で、毎回同じミスを繰り返していると、人々は噴気しますね。

笑って見過ごす→注意する→怒る→呆れる→相手にしない

何事にも、このサイクルで人々の嫌悪感は進んでいくと考えます。

最後まで行くと挽回の難易度は極めて高くなります。

さて、どうして言い訳してしまうのでしょうか。

この答えは、人によって見解は違うと考えますが
私の出した見解は

"自らが作り上げた自信(作品)にそんな些細な汚れをつけたくない"

こんなところじゃないでしょうか。

あえて、自信を"作品"と付け加えさせて頂きましたが、誰でも何かを作った時に意図せず不必要な物を添えられると少し嫌な気持ちになります。
例えるならば、
自信を持って作ったパスタにタバスコを大量に入れられる。だとか
自信を持って作った天使像の羽を良かれと思ってもぎ取られる。とか。笑

しかし、自らが作り上げたキャリアやスキルはそんな些細なことで失う事は決してなく、むしろ目の前のミスを疎かにして無視してしまうことこそ、キャリアうんぬんではなく"信頼"という項目に傷が出来てきます。
1番大事なところかと私は感じます。

目の前の些細なミスこそ、周りに甘んじる事なくしっかりと処理をしていく事こそ、私達は

"誠実さ"

と呼ぶのではないでしょうか。

何事にも"誠実さ"と言うものは私達を助けてくれます。
対人コミュニケーションの観点からしても、例外ではありません。

親しき仲にも礼儀あり

と言う言葉もあるように、仲が良い友人にも不誠実に接してしまう事があると思います。
仲が良いからこその事でもありますが。

相手の考えている事など完全に理解する事は不可能に近いので、何事も誠実さを持って行動をしていくと、これからの様々な関係性がより良くなるのではと考えます。

言い訳って自分の心を守る壁みたいなものだなって感じます。
なのでATフィールドの画像をヘッダーとさせて頂きました。
(新世紀エヴァンゲリオン 参照)

この辺で。

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