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【育児】救急車・消防車への憧れと現実
2歳2ヶ月の息子は、救急車や消防車(以下、緊急車両)が大好きです。
外で緊急車両を見かけると目を輝かせるし、家の中にいて外からサイレンが聞こえてきても反応します。
そんな息子が保育園に行った時、玄関で出迎えてくれた先生にまず言うのは
「きゅーきゅーしゃ(を見た)」
もしくは
「ごみしゅーしゅーしゃ(を見た)」
です…
「おはよう、でしょ!」と言い聞かせてはいるのですが、息子にとっては登園中に見てきたものを報告することが挨拶のようです…
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ちなみに去年の秋には、子ども向けの緊急車両のイベントに行きました。
消防車の放水体験や、はしご車に乗るなどといった体験ブースがあったのですが、当時1歳11カ月だった息子が参加できるものはなく、消防車や救急車をたくさん見て、一緒に写真を撮るくらいしかできませんでした。
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それでも息子は楽しかったようでした。
救急車の中に入って写真を撮ることもでき、息子はそれが一番テンションが上がったようです。
今でも時々、「パパと救急車に乗って、パチッ!てした(写真を撮った)」とニコニコしながら話してくれます。
ただ…母親の私は、ある疑問を抱いていました。
救急車や消防車などを見て、無条件に喜んで良いものなんだろうか?
緊急車両は人の病気や事故・火事など、ヤバイ状況の時に出動するものです。
当然ですが、決しておめでたいものではありません。
緊急車両がサイレンを鳴らして道路を走っている時というのは、一刻一秒を争います。
人の命もかかっているわけで、例えば運転していて後ろから救急車が来たら「自分たちも安全に注意しながら道を譲らなければ」と、緊張が走ります。
しかし、2歳になりたての息子にはまだ緊急車両の役割や、緊急車両が出動することの重大さがわかりません。
「車がカッコいい」、ただそれだけなのです。
そんなの当たり前じゃないか、理解できるようになるまではそれでいいじゃないか、と思うかもしれません。
しかし私自身、息子が生まれるまで緊急車両に興味を持ったことがなかったし、
さまざまな現実(困っている人を救うということが、いかに過酷なことか…とか)を知っていると、息子が緊急車両を好きな気持ちにどんなテンションで寄り添えばいいか迷ってしまうのです。
母、救急車に遭遇する
そんなある日、私は職場に救急車が来るという出来事に遭遇しました。
高齢者向けのデイサービスでパートをしているのですが、具合の悪くなった利用者さんがいたのです。
結果的に、そんなに大ごとにはならなかったのですが、「救急車を呼ぼう」となるのはそれなりにヤバイ状況だったわけで…
当然、他の利用者さんたちも騒然となります。
私も正直「◯◯さん、どうなっちゃうんだろう」と怖かったけど、他の利用者さんたちのフォローに回るなどして、必死でした。
そのうち、救急車のサイレンが聞こえてきて、施設の玄関の前に救急車が停まりました。
一瞬、息子的には胸熱なシチュエーション…と思いましたが、全くそれどころではありません。
ましてや、息子に見せるために救急車の写真を撮ろうなんて、絶対思ってはいけない雰囲気です。
救急隊員の方々の迅速な対応と、職場の看護師さんの的確な状況説明で、利用者さんは早くかつ安全に搬送されていきましたが、非常に緊迫した時間でした。
私はその時、「救急車や消防車が出動するのは、決して良いことじゃないんだよな」と思い直しました。
とてもではありませんが、家に帰って息子に「今日ね、ママのお仕事のところに救急車が来たよ!」なんて言えませんでした。
(そもそも、息子は「こんなことがあったよ!」と言われて「へぇ〜、それでそれで?」と乗れるような知能がまだ無い)
なぜ、子どもは緊急車両に憧れるのか…
日頃、息子と消防署の前を通る時、「今日は救急車いないね〜」とか「消防車はいっぱいいるね」などと話すのですが、消防署に緊急車両がいないっていうことは、この近くで助けを求めている人がいるということです。
緊急車両は必要性がないほうがいいわけですが、かといって存在を無くしてしまうと世の中が大変なことになるので、なくてはならない存在です。
だから私は、息子と外出中に緊急車両が走ってるのを見かけたら、「救急車さん、頑張ってるね」「朝から忙しいね、大変だね」などと言うようにしています。
間違っても「救急車だよ!うおおおカッコいいね!!」などと、好きな芸能人を見たかのようにただはしゃぐようなことはしないようにしよう、と気をつけています(笑)
それにしても、子どもはなぜ救急車や消防車に憧れるのでしょうか。
まず、単純に車のデザインやサイレンがカッコ良く感じるのは絶対にあると思います。
たまたま今のようなデザインになったのか、子どもが憧れたくなるようにあえて考えて作られたのか、それはわからないしそこまで追求するつもりもありません。
でも、たくさんの子どもの憧れになるのはすごいことです。
それに加えて、やはり人は「誰かの役に立つ」とか「人助けをする」っていうことに憧れるようにできているのかな、とも感じます。
ただ、かつて私自身もそうだったように、子どもには誰かの役に立っている人たちの表面的な部分しか見えません。
息子が生まれてから知ったことですが、アンパンマンが自分の顔を誰かに分けてあげる描写には、「人の役に立つということは、自己犠牲を伴うものだ」というような作者のメッセージが込められているらしく…
たしかに、日々私たちはいとも簡単にパンをちぎって食べたり、「パン買って来いよ」と弱い者を使って簡単にパンを手に入れたりしていますが、アンパンマンは自分の顔の一部を失って人助けをしているのです。
アンパンマンは平和な表情でそれをやっていますが、普通に考えたらめちゃくちゃ痛いです。
そんなにつらい思いをしてまで、自己犠牲できますか…?
ここまで私が考えてしまうのは、日々つらいと思いながら育児をしているからです。
かなり覚悟して産んだのに、それをはるかに上回る過酷さ。
自分の命を削ってまで人間を育てる意味とは…?
私自身はそんなことを普通に考えたくなる日常だし、今の世の中は医療がひっ迫する状態だから、他のことも「簡単に出来るなんて言ってはいけない」と思ってしまうのです。
でも、育児や医療行為に限らず、はたから見たら「どうしてそこまでできるんだろう」って思うことはたくさんあります。
結論:だからプロはすごい
って話です。
別にここまで飛躍させなくてもいい話題なんですけどね、頭の中は自由なので、色々考えてしまいました。
息子はいったい、何のプロになるのかな。
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