【まとめ】#6【性格って変えられるんだね#3】私が思う、病気や苦しみと性格の関係

今回は、私が感じている、苦しみ・病気・性格の関係についてです。

次回、私の性格の変え方について具体的にお話しする予定です。

その前に、苦しみ・病気・性格を、私がどんなふうに捉えているのか、をお話しした方が、いろいろとイメージしやすくなるもしれないなって思ったので、今回このテーマにしました。


【結論】


多くの人が思ってるのと同じように私も捉えてます。

  • 性格は苦しみや病気を生む大きな要素になりうる。

  • その逆の、苦しみや病気が苦しみを生む性格を作ったり強くしたりする。

  • 苦しみが苦しみを作っていく、酷くしていくっていう、負の連鎖を作る

  • 正の連鎖もあり、負の連鎖は正の連鎖に変えることもできる!


【そもそも苦しみとは?】


私が感じてきたこと。

  • 過去、現在、未来には、絶望しかない。絶望が全て。

  • 自分の存在そのものをこの世から否定されている、拒絶されている。生きていてはいけない。自分の心は間違っている、というような、絶望。

  • この絶望が死ぬまで続く。死ぬまでこの拷問を受け続けることが、唯一の生きる意味。


【苦しみを生む性格ができた理由 私の場合】


性格=クセの集まり
クセ=思考・感情・行動のパターン

自分が完全に壊れてしまわない、自分が存在していることを許可してもらうには、苦しみを生むパターンしか選択肢がないと信じるようになった。

だから、そのパターンを繰り返した。種類を増やしていった。

つまり、自分を守るために、自分を否定して無視して自分を攻撃することをやってきた。

だから、自分を自分で攻撃する、自分で自分の存在を許さないという性格ができた。

心と体を傷つけるクセを増やし続けた結果、生きることが難しいぐらいに歪みが酷くなった。

で、病気だと診断された。


【私にとっての「生きることが難しい」という言葉の意味】


いつか心が壊れてしまう。

そうしたことと別で、社会生活に支障が出る、自分を傷つける行動しかとれなくなる、っていうのもあると思ってます。

自分が苦しんでいることを自覚できない、人と関われない、助けを求めることができない、生きるだけの収入を得ることができない、苦しみがもとで他の病気にもなる。

みたいな感じです。


【苦しみや病気を生むクセの本質はどんなものだと私は感じているか?】


自分を苦しめるクセは、自分の存在そのもの、存在しているという事実を否定する感覚を伴う、ということ。


【私の苦しみを生むクセができた経緯、こうやって作ってきた、てきな?】



私の存在そのものを否定される、責められるという恐怖が根底にある。

その恐怖が現実にならないためのクセを探して身につけていった。

その結果、否定される前に自分で自分を否定するという正解に辿り着いた。

自分をころすことが正解。
正解だから繰り返す。
正解だからクセを増やす。

その結果、私は間違っている、私が私を否定して無視し、自分を自分で攻撃する。

私にとってそれが正解だから、そういう性格になった。


【こんな正解に辿り着く原点】


母との関係で、幼少期にガチっとできた核。

私には生きる資格も能力もない、人間未満の欠陥品。だから死ななければならない。私の感情は悪。私の存在そのものが間違ってる。

これが私の核で、原点。


【苦しみを生んできた私の思考・感情・行動のパターン】


核を原点にして、そこから思考・感情・行動のパターンを繰り返し、パターンを増やしていった。

そのパターンは、こんな感じ。


核を真実にしないため、真実だと実感しないために、真実である証拠になりそうなもの、出来事から逃げる。
証拠になるものは、私を否定するもの。私を責めるもの。
だから、証拠になるものは敵。
敵は私を消そうとするのは当たり前。
そもそも、私は人間未満の欠陥品だから、否定されて当たり前。責められて当たり前。
怖い。恐ろしい。だから逃げる。

これが原点から生まれる、思考・感情・行動のパターン。


【苦しみと性格の関係】


私は、苦しみを生むパターンを作り、増やしていき、それが性格となった。

その苦しみから逃れるためには、自分は生きていてもいい存在と確信する必要がある。

だから、もっと逃げるクセを増やしていった。

苦しみがクセを作り、そのクセは私を苦しめる性格を作り、苦しみを強化していった。

その苦しみから逃げるために、さらに苦しみを生む性格を作っていった。

それが負の連鎖。

苦しみと性格は、お互いに強化しあう。

その根本にあるのが、私という存在を否定して無視し、私自身を攻撃する核。

だから、私が私の人生を私が主人公として幸せに生きようしたとき、性格を変えることはとても大きな影響を与える要素だったなと感じています。

また、これからもっと幸せになっていくことにおいても、性格を変えるというのは、欠かせない要素であり入り口になると思っています。


【負の連鎖は正の連鎖に変えられる】


負の連鎖と同じように、ここちよさはここちよい性格を作り、ここちよい性格はここちよさを生む。それは連鎖して、よりここちよさを生み出していく。

一つの原点は、苦しみを生むクセ、ここちよさを生むクセのどちらにもなり得る。

原点から思考・感情・行動のパターンの終着点に向かう流れがあり、その流れの途中を途中で変えることで、ここちよさが終着点にもなる。

自分を苦しめるクセの原点は、自分を幸せにするクセの原点にもなりうるということ。

性格を変えるということの本質は、自分の核を、自分にとってどういう存在なのか?核は自分にとってどういう意味を持つのか?ということを変えることだと実感してます。



【録音を終えて】


幸せになるために、性格を変えるために、クセを作る。

これは入り口です。

私にとってクセを作っていくことは、私の根本の苦しみ、私の存在そのものを否定してくる核の存在を感じ、向き合い、認めて受け入れ、敵でしかなかった根本の恐怖が私の親友になることでした。

そして、そこから新しい自己肯定の核が生まれた、というところへ行きつくものでした。

クセを作る作業は、私の感情をちゃんと実感し、認め、私自身への理解が深まるというものでした。

だから、苦しみの根本である核に辿り着くのは、自然な流れだったなと思います。

なので、私がお話ししている、クセを作って性格を変える、という作業は、私にとって、根本から自己肯定をする作業でもあります。

結局、私の生きる苦しみが生まれていた原因は、私が存在していることを私自身が赦せていなかったという、単純なもの、純粋でシンプルなものでした。

また、私がやってきたことは、自分以外の人がどう存在するか、どう振る舞うか、みたいなことは関係なく、私が私自身の全てを赦し、認め、受け入れ、肯定するという、私という存在そのものをどう存在させるのかということを、私の意思や心だけで決めるというものだったなと思います。

「性格を変える」という表現は、私にとって今回お話ししたような意味を持っています。

人間の心は、本能的にここちよさや愛を求め、それを感じることで深い喜びを得る。

誰かを傷つけて得られた愛のように見えるものは虚構で、心は揺さぶられない。

それは自分自身に対する愛も同じ。

自分を愛するということも同じ。

愛することで虚しさを感じるのか、喜びを感じるのか、ということも同じ。

だから、心のその本能をありのまま純粋に発露させることが、全ての人の生きる幸せにつながる。

だから、ここちよさが生まれる思考・感情・行動というパターンをたくさん見つけてクセにしていくというのは、心に纏わりついたものを剥がし、傷を癒し、動物的とも言える純粋な心を目覚めさせ、その本能の愛で生きることにつながっていく。
そんな意味があると私は思っています。

ありのままの心を愛し、ありのままの心と生きていく。

そんな作業かもしれません。


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