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「手紙」という不便益

昔よく書いていた手紙

NETFLIXで映画「親愛なるきみへ」を観た。手紙が軸になっている若き軍人と大学生の切ない恋愛物語で2010年製作にもかかわらず昔の名作のようで、派手さのない心に訴えかける良い映画だった。

そういえば、僕は35.6歳まで手紙を書くのがとても好きだった。喋りが得意ではない分、考えて書き直せる方が自分には性に合っていると思うのだ。
田舎のおばあちゃんや母親、歳の離れた弟や海外に行けば叔母や恋人にもよく書いていた。あの頃は年賀状もよく書いていたっけ。内容はさして濃いものではなかったと思うが、その時々での僕なりの相手への想いをかなり素直に綴っていたと思う。
それも、ケータイやLINEと共にこの10年ですっかりしなくなってしまったっけ。 

それが。

つい最近、何故か急に母に手紙を書く気になった。
父が亡くなってちょうど1年経つ。
手紙の内容は拙いもの。ただ「ここまで育ててくれて、ありがとう。」と伝えたかった。そして、以前たまたま出掛けた先で買っておいた「ぼけぼー」という名の御歳90歳のおばあちゃまがボケ防止で作っている手作りマスコットを同封して、送った。

しばらくして、母から電話がきた。
どうやら手紙を読んで泣いたらしい。

更に、ついこの間父の1周忌の時、普段なら絶対しなさそうな母が僕の送ったマスコットをかばんにつけてくれていた。

もしかしたら、それは歳のせいかもしれないけれど、それは決して読みやすい文字とは言い難いが普段書いていなかった手紙に同封したからかもしれない。

そうなんだ。

あんな拙い手紙でも、母の気持に伝わったんだ、と今更ながら手紙を書いて良かったと思い、同時に手紙の威力を改めて感じた。

そういえば。

僕がまだ中学生で両親が離婚した時、母方のおばあちゃん宛てに僕が書いた手紙を読んで、普段笑ってるばかりのおばあちゃんが、泣いた、と後々聞いたことがあった。
父方のおばあちゃんが亡くなった時、箪笥の引き出しから僕があちこちの旅先から書いていた絵葉書がごっそりでてきたそうだ。
両親の離婚で離れ離れになった弟の机の前に、僕が兄として書き綴った手紙が貼られていたらしい。。。

どれも、僕はそんな展開は予想していないで書いている。

手紙にはきっと見えないチカラがあるのだろう。

そういえば西野亮廣さんがレターポットという「想いを文字として貨幣化する新たなシステム」を考えてたっけ。

確かに手紙を書く時、僕は僕なりのエネルギーや「想い」を注ぎながら書いていたし、それはデジタル以上の何かを相手に伝えているようだ。

これも言ってみれば立派な「不便益」の効用なのではないだろうか?
と ふと思った。

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