#642 納豆の片付けから人間性を考えた話
2024.9.26.
悪口、ダメ、絶対。
だけど言わせてほしい。私が憤っていることについて。そして他の人がどう感じるかも聞いてみたい。
何の話かってえ言えば(江戸っ子風)、食事の片付け方である。
私は実家にいた頃、「洗い場担当」であった。つまり、食後に食器洗いをする役だ。ちなみに弟は時々、餃子や唐揚げなどの「焼き場担当」を任される。なんだこの格差は。母への貢献度か。
そんな洗い場担当の私が毎日憤っていたのは、納豆の片付け方だ。
父は毎食、食べる前にお酢を飲む。
小さめのグラスに氷、少量の黒酢、水を入れて混ぜる。それを食前に飲むのだ。なんか、健康に良さそうである。
しかも、夕飯では大抵納豆を食べる。カレーや混ぜご飯など、納豆が必要にならないようなメニューのとき以外は、食べている。小分けの小さなパックになっているやつだ。
それで…夕飯が終わると、こちらが爆誕しているのだ。
私、これが本当に嫌ーーー!
説明しよう、これは、冷たい氷が入った洗い物の中に、燃えるゴミが入れられているということなのであーる。
【問題点①】片付けが苦痛
これを片付けるためには、まず溶けかけの氷が入っているグラスに手を入れて、ネバネバのついたフィルムやからしの入れ物を取り出さなければならない。うえ〜などと思いながら取り出す。冷たい。その後、グラスを洗う。
【問題点②】父はいいことをしていると思っている
私が何か伝えるということをしなければ、この状況は改善されないだろう。なぜなら以前の会話で、父がこの片付け方を「いろんなゴミをきちんとまとめているぞ」的な捉え方をしていることを知ってしまったからだ。
いや、ゴミをまとめるのは偉いよ?でも、まとめる場所が違うんよー!
【問題点③】突き詰めると人間関係か
そしてさらに問題なのは…私が本人に指摘できないことである。これ、ある程度関係ができているなら「もう、お父さん!こういう片付け方困るんだけど!今度やってたら自分で洗ってもらうからね!」と、ぷんぷん怒る可愛い娘になればいいだけの話である。
でも、私にはそれができない。毎日いらっとしながら、父の使い終わった箸でゴミを取ってみたり、ゴミを取るタイミングで酷く嫌そうな顔をしてみたりと試すのだが、私の苦悩に父が気付いたことはないし、きっとこれからも気付かないのであろう。
この片付け、もちろん片付け自体が本当に嫌なことに変わりはないのだが、恐らく、「片付ける人のことを全然考えてくれていないこと」が嫌なのだ。
この世の中、誰かの見えない苦労を案じたり、疲れている人に優しい声かけをしたり、そういうの大事じゃねえのか?(再び江戸っ子)てやんでえ、べらぼうめ!
そしてそういうことを、言われるんじゃなくて自分で気付いてほしいの!
なーんて。「人は変えられない、変えられるのは自分」理論でいくと、勝手に期待してうだうだ言うんじゃなくて、きちんと伝えることが大事なんだろう。
皆様、どう思われます?
兎にも角にも、一人暮らしであの氷納豆グラスを洗うことはなくなった。
私も何か別のことで「またこいつこんなことを…」って思われていることがあるかもしれない。
他人の靴を履いて歩く、ですな。