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体育会出身者が求められなくなる日

私自身、中学、高校時代とバレーボール部体育会出身である。

正確には、小学校までは野球、高校のバレーボールは怪我により途中で辞めたが、奨学金をもらって全国常連高にスポーツ特待生で入学したので、どのくらいの環境だったかはイメージを持ってもらえると思う。

決して一流とは言えないが、スポーツにおいては、それなりの成功体験を持っている。

そんな自分を否定するかのような
「体育会出身者が求められなくなる日」
というテーマについて書いてみたいと思う。


■中高の部活

私が過ごした90年代の部活動は、それは厳しいものだった。地元の強豪校にいたことも関係するが、かなり理不尽なシゴキと上下関係。さらには、勝利至上主義にとらわれ、負けることはイコール自分を全否定されるという極端な思想の中で育っている。


少し過去を思い出してみると...

中学生のときは、部活顧問に殴られて体育館一周した。理由は練習試合でミスを繰り返したから。イメージできないかもしれないが、平手打ちをされると後ろによろける(たまに倒れる。胸ぐら掴まれて起きる)。それを繰り返すと、壁にぶつかる。そうすると右か左に向きを変え、また平手打ちされる。気がつけば、一周して元の位置に戻っている笑。当然、顔は腫れ、口の中は血だらけ。血を水飲み場で吐き出し、すぐにプレーに戻る。

高校のときは、自分の着ている練習着をテニスコートの中央ネットに洗濯物を干すようにかけられた。先輩からバレーボールを一つ渡され、大事なところを隠して取りに行く。テニスコートでプレーしているのは、当然女子部員。そこは顧問がほぼいなかったからだが、間違いなくアキラ100%笑。上級生が楽しいだけで、特に意味はなかった。慣れている女子部員は普通にテニスをする。たまにボールがぶつかる。

他には、電車フライング掃除とか、先輩の彼女呼び出しとか、(記事として残せないものを含め)面白い思い出はまだまだあるが、一旦これくらいで...。


■「空に向かってかっ飛ばせ!」を読んで

時を戻そう。

なぜこの話題を取り上げることにしたかというと、先日、今はメジャーリーガーとなった筒香選手の書籍を改めて読み直したからだ。


詳細は読んでもらったらわかるが、幼い頃からの勝利至上主義が、子どもたちの未来を潰しているという内容。野球人口が減っていく中で、野球の楽しさや環境についてはほとんど語られておらず、指導者の問題に言及している(野球をやっておらずとも、マネジメントや育成、もしくは子どもを持つ親にはぜひ読んでもらいたいと思う)。

読んでハッとさせられる。

なぜなら、少中高の野球活動は、身体を鍛えるだけではなく、厳しいことがあっても挫けない心も鍛え、上下関係を重んじ、社会で必要な能力が身につくと言われていたからだ。さらに努力をして勝利を得ることで、何事にも変えられない経験をすることができる、と個人的に思っていた。

勝利至上主義は肯定はされても、否定などされるわけがない、と。


■勝利至上主義の弊害

私自身も、少なからず幼い頃からスポーツにおける厳しい環境で育ったからこそ、何事も諦めず、誰よりも努力し、周りから認められる、という成功体験を持っている。
しかし、それが全て間違っていたのかと思えた。

実情は、勝利は子どもたち自身より、周りの大人たち(指導者、親、先生等)の満足であることがほとんどで、全国ベスト○になるかどうかが評価基準でもあった。また、親も親同士が結託して、移動補助、お茶当番など身の回りのサポートを行い、子どもたちを全国へ連れて行こうとする少年団もよく見かけたし、先生方も、自分たちの学校が有名になることを望んでいた。

話はそれたが、
勝利至上主義が大人たちの満足で終わるならまだいい。
問題は、子どもたちに二つの悪影響を及ぼしてしまっている点だ。


一つは、怪我。

勝利至上主義に走ると、必ず子どもたちに無理させる。
限界まで頑張ることと、限界を超えて頑張ることは別だ。

その限界値をわかっていない子どもたちが、限界値を知ろうともしない指導者にあたると、必ずと言っていいほど怪我をする。骨折や捻挫、もしくは切り傷等は見た目にもわかるので、怪我をした時点で治療に専念できる。

しかし、野球であれば肘、肩、その他のスポーツでも膝、腰、首などは、見た目にはわからないため、制御が効かない。「もう少し無理をすれば勝てるかもしれない。今日が最後になっても燃え尽きたいと」いう選手の想いは止めることができないし、顧問から「まだいけるか!」と言われたら、できないとは言えない状況下では怪我につながる。そうなると、結果的に、二度とスポーツが出来ない身体になってしまうこともある。

最近、ようやく甲子園での球数制限が検討されることになったが、子どもたちを消耗品とさせないために、大人たちが止めてあげることが大事だ。骨折や捻挫などはほぼ100%治るが、それ以外は一生治らない怪我もある。


もう一つは、自分で考える習慣がつかないこと。

実際に自分の部活時代を振り返ってみても、練習は全て顧問が考えていた。それ自体は、当然といえば当然だが、何のための練習なのか、いつまでにどんなことができるようになるのか、どうすれば○○のプレーの質が向上するのか、などは全て顧問の頭の中。今となっては、それをきちんと考えていたかどうかはわからないが、基本的には「いいからやれ」の一言。

体育会で求められている答えは、「はい」か「イエス」。

「このプレーをもっとできるようになりたい」
「こんなことができる選手になりたい」

頭の中で思うことはあっても、公言することは決してできない。顧問が考えるプレイヤー像に、自分が作られていくだけ。自分の目指す方向性と違うことだったとしても、それに従わざるを得ない上下関係。


それが続くとどうなるか。

日々の練習は顧問のいう通りに従い、どれだけ真剣に取り組むかだけを考える。真面目に、休まず、メニューをきちんとこなす。

うまくなることと、レギュラーになって試合に出ることをどちらを優先するか。それはもちろん、レギュラーだ。

顧問に抗うことなく練習する。結果的に、自ら考えて、理解して、行動することを諦める。異議を唱えることは、礼儀がなっていないと言われ、「だったら辞めろ!」と言われる。でも部活は続けたいから、結局従う。
こうして、顧問に忠実な考えることを放棄した部員が出来上がる


強豪校で育った体育会出身者が、
・理不尽な命令にも黙って耐えることができる
・上下関係を大切にし、チームを重んじる
と言われるのは、こういう環境だからだ。

特に強豪校になればなるほど、退路を絶って飛び込んでいる。越境入学だったり、本当は東大に行けるような成績だったりするのに...。だからこそ従うしかない。チームを全国へ導けなければ、自分の選択が意味のなかったものになってしまうと思ってしまう。

これは、今の時代に求められている人物像なのか?

もちろん違う。

私自身は、体育会出身者は好きだし、全ての選手が何も考えず行動しているとも思わない。データが重要視されるようになった昨今では、試合に勝つためには指導者の直感だけでは勝てないことも多くなった。

だから一概に体育会出身者がいけないというわけではない。


■変わるべきはどちらか

変わるべきは、もちろんマネジメント側だ。

会社においても、高度経済成長期やバブル期ならまだしも、今は会社の指示に従っているだけでポジションが用意されていた時代とは違う。マネジメントや育成についても考え方を変えなくてはいけないだろう。

もう終身雇用で社員を抱えることが難しくなっているにも関わらず、忠実で、理不尽な要求にも耐えれる社員を採用し、会社仕様に育成しようとしている会社はいまだに存在する。

よく目標設定はSMARTに、と言われる。

◆要素1:Specific(具体的に)
誰が読んでもわかる、明確で具体的な表現や言葉で書き表す

◆要素2:Measurable(測定可能な)
目標の達成度合いが本人にも上司にも判断できるよう、その内容を定量化して表す

◆要素3:Achievable(達成可能な)
希望や願望ではなく、その目標が達成可能な現実的内容かどうかを確認する

◆要素4:Related(経営目標に関連した)
設定した目標が職務記述書に基づくものであるかどうか。と同時に自分が属する部署の目標、さらには会社の目標に関連する内容になっているかどうかを確認する

◆要素5:Time-bound(時間制約がある)
いつまでに目標を達成するか、その期限を設定する

*GLOBIS 知見録より引用


社員に求めておきながら、マネジメント側がSMARTにできていないことが多い。体育会出身者は、勝つ喜びを知っていて、目標に向かって努力できるという素養を備えている人が多いから、SMARTに目標を伝えることを改めて意識するべきだ。

子どもの野球人口の減少は、会社員希望の学生の減少に近いかもしれない。日本の人口、特に労働人口がこれから大きく減っていく中で、会社員を希望する学生も減っていくことが想定される。今は、フリーランスもあるし、複業だってできるし、起業も増えている。若者の人数は減るのに、会社員を希望する人はさらに減ることが想定されるからだ。

野球人口の減少の理由の一つに指導方法に問題があるならば、会社員希望の学生の減少は、マネジメントにあると言っても良いかもしれない。今こそ社員一人ひとりのキャリアにフォーカスを当て、1on1や評価など、形式だけではなく、人事施策を実行していくべきだと思う。


*日本の人口減少に伴う問題に関しては、下記の書籍がオススメ。


■最後に

同じように部活をやっていた人の中には、疑問に思う人もいると思う。
「部活の時間外に自分のやりたい練習をやればいいのでは?」
「勝つためにはやりたいことを封印するべきなのでは?」
と。

答えは、二つともその通り。
しかし、それがかなわない現実が勝利至上主義の学校にはある。

まず、部活の時間外という概念がない。
私がいた学校は、授業が終われば練習が始まり、体育館が使えるギリギリの時間まで練習が行われる。かつ、土日も毎日朝から晩まで練習で、テスト期間中も練習。学校行事の遠足も参加せず練習だ。体育館が広かったということもあるが、強豪校ということもあり、全ての時間、場所を確保していたので練習がない日はない。もし、練習時間が短かったり、練習がない日があれば、そうしただろう。

そして、野球にしても、バレーボールにしても、チーム競技だ。全員がレギュラーになれない以上、勝つために役割を分担するべきだ。問題はそこよりも、顧問が自身が正しいと思うフォームやポジションを身につけさせ、たとえそれが身体にあっていなかったり、目指す方向性とあっていないのに、やらせるパターンが残念ながら存在する(筒香選手も、某コーチに、このフォームをやらないなら2軍に落とすぞと言われた経験があるらしい)。

わかりやすい例で言えば、
・野球なら、太っていて大きければキャッチャー
・バレーボールなら、小さければセッターかリベロ
のようなもの。

子どもの身体は当然ながら成長に合わせて変化するし、20歳を超えたとしてもトレーニング次第で、違うポジションは出来たりする。これを無理やり自分の考えの枠に当て込み、未来のアスリートを潰してしまうことも存在する。

そんな未来にはしたくない。

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