ひょいと取り上げたそれは、神様の杖

【2024.4.2】

午前中によくよく思考を巡らせないといけない話が入ってきて、時折うなりだすノートパソコンのように脳がうなりを上げる。うならせながら、ありもので簡単な昼ごはんを用意して食べたのだろうけど、なにを食べたのかよく思い出せないくらいには思考が右往左往していた。

気持ちと考えがしっくりと噛み合わないことは、生きていれば「そういうこともあるよね」という感じではあるけれど、足がつかないところで陸地を探し続けているような心もとなさがあり、とたんに暮らしがおぼつかなくなる。

これはいけないとコロコロを手にとり、ねこの毛がたっぷりへばりついた布団やカーテン、床までも力強くゴロンゴロンして心を落ち着けた。

どんな小さなチリやホコリもガッチリ捉えて離さないコロコロに、わたしは絶対的な信頼を置いているし、掃除機の掃除が面倒なズボラ人間ゆえ、家のどこもかしこもコロコロするくらいには魅了されている。

コロコロを手にすればたちまち万能感があふれだす。

無心にコロコロしてすこし調子を取り戻したところで、立ち上がりざまに壁に取り付けた飾り棚に頭のてっぺんをしこたまぶつけた。

その瞬間、ひとときの万能感は姿を消し、棚に飾ってあったフィギュアたちが落ちた。近辺を探して拾い上げ、なにか物足りないような気がしながら元あった場所にもどす。

ジンジンと疼く痛みと引き換えに、ようやく正気を取り戻しはじめた頭をさすり仕事に取りかかる。

しばらく集中したのち腹が減ったので、買い置きしてあったレトルトの調味料で麻婆豆腐をつくることにする。このレトルト調味料、賞味期限が3ヶ月ほど切れているが、まったく気にせず使うのだ。

多感な時期なんて1日でも期限を過ぎたものは絶対に口にしなかったのに、ずいぶん生きやすく、おおらかに進化を遂げたものなぁと我ながら感心する。

豆腐がちょっと足りなかったので冷蔵庫にあった小松菜をゆがいて加えてみるとどうだ、彩りが豊かになって大変よろしい。ごはんにかけてどんぶりにして食べ、仕事から帰ってきた夫とテレビを見るなどして過ごす。

夫はBSトゥエルビでやっている『ザ・カセットテープ・ミュージック』が気に入っており、欠かさず録画しているらしい。

この番組のMCである音楽評論家のスージー鈴木さんは、見た目が夫とそれはもうよく似ている。ロケの際に着ていたダウンジャケットすら夫が日ごろよく着ているものとそっくりで、わが家では「スージー鈴木さん夫のドッペルゲンガー説」がまことしやかにささやかれている。

見終えて眠る前にもうひと仕事しておきたかったのでデスクに向かうと、ハーメルンの笛吹きよろしく後ろをねこがとてとてとついてくる。デスク後ろのミニソファで、あるじがベッドに入るのを待つらしい。

集中していると背後でカサカサと乾いた音がするので「これは猫のしわざだな」と振り返ると、カーテンぎわで何かを弄んでいる。

もー!何してるの。ひょいと取り上げたそれは、神様の杖だった。

しこたま頭を打ちつけた時に落ちたフィギュアが持っていたものだ。彫刻家の田島享央己さんが手がけた下半身がまる出しの神様の右手に、長く立派な杖を握らせると安心した。

作業はスムーズに進み、今日という日の終わりを待っていたねこを抱えあげて肩に引っかけ、ベッドに連れて行ってやる。

いつのまにか脳はすっかりうなることをやめ、コロコロと、あるべき場所におさまった神様の杖に救われたような気持ちでねこと枕を分けあって眠りにつく。

にゅっと伸ばした前足の肉球がほっぺを押して芳しい香りを放つので、可愛いやつめと握ったら後ろ足だった。


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