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さよなら台湾(台湾入院日記)

毎日22時ごろ更新。初めて行った台湾で、バイクにはねられ、足を骨折。英語も中国語もできないスキル状態で現地の病院送りになった女の、なにかとギリギリな入院回顧録です。

前回はこちら


帰りたいけど、帰りたくない。
複雑な気持ちで迎えた、約束の時間。

8月9日 午前4時過ぎ。

準備は万端だった。
気持ち以外。

生まれて初めて来た台湾の思い出のほとんどが、事故の記憶になってしまった。高雄の街も、その後に行くはずだった台北の街も、もっと知りたかったし、もっと目に焼き付けたかった。

また来たい。また来られるだろうか。
たくさんの親切を受けて、わたしはこの国のすべてが大好きになっていた。

私をはねたオバハン以外。

通訳のKさんから、ロビーに到着したとメールが入る。保険会社が手を尽くして取ってくれたエバー航空便には、怪我に障らないよう医師からの指示でビジネスクラスの席が用意されているそうだ。チケットの値段を考えると、庶民の心臓は縮みあがる。

行かなければ。

重い腰を上げると、部屋のチャイムが鳴った。ホテルスタッフがわたしの荷物を運んでくれるという。食事に荷物に、このホテルには助けられっぱなしだった。

高雄に滞在する予定のある方、エアラインイン、おすすめです。

チェックアウトの手続き中、ホテルの前に大きな黒いバンが停まる。時間は4時半前。骨折り女を日本まで安全に運ぶために、いろんな人が早起きをしてくれたのだなとありがたいような、申し訳ないような気持ちになる。

台湾のタクシーは黄色で統一されていて、今まで乗ったのは全部TOYOTA車だっだ。そして今日わたしを高雄空港まで運ぶのは、ハイエースサイズのベンツ車。これが保険会社の力か…。

荷物は後ろに載せてもらい、松葉杖を突いて後部座席のドアまで近づく。片足での車への乗り込みも、ずいぶん上手くなっていた。

シートに手をつける距離まで来たら片方づつ松葉杖を離す。右足と右手で体制を保ちながら左手で天井のフチに付いているハンドルを掴む。そして懸垂の要領で身体を引き上げ、シートにお尻が乗ったら、あとは右足を軸にズリズリと後ろにずって両脚をおさめる。

人間はたくましい。

台湾人のドライバーは、わたしの身体が収まった事を肩越しにチラリと確認すると、車を発信させた。

ここからは、なにもかもが新幹線の窓から景色をみているようだった。

夜明け前の街を走ること15分ほど。高雄空港に到着したバンから降りて、松葉杖で空港ターミナル内へ進む。スーツケースは通訳のKさんが引いてくれていた。自動ドアをくぐり大きなロビーを見渡すと、すぐ右手に、エバー航空のカウンターが見えた。

Kさんが事前に通っているであろう話を地上クルーに確認。さらに荷物を預ける手続きをしてくれているあいだは、大きな案内看板に寄りかかって待っていた。高雄空港には、なぜかベンチが見あたらない。

預けた荷物のたぐが発行されたとほぼ同時に、サポートの空港スタッフが車椅子を押してこちらに向かって歩いてくるのが見えた。座るやいなや、すぐに出国審査場へと進み出す。Kさんに、振り返りざまに慌わててお礼と別れを告げた。

余韻を味わうまもなく
それはもう、粛々と進んでいく。

出国審査では、わたしはパスポートとエアチケットを取り出しただけで、審査官の対応は車椅子を押してくれている空港スタッフが代わりにしてくれた。

手荷物検査も同じように通過する。ただしここでは、足首に入れた金属が探知機に反応してしまうので、診断書の提示が必要だった。これは吳先生から聞いていたので、手荷物の取り出しやすい場所に入れておいた。

が、印籠とまではいかず、探知機をパスできないかわりに女性職員による簡単なボディチェックを受けた。

普段なら何十分とかかることもある国際線の搭乗手続きが、ものの数分で終わってしまった。ひとりだと何をするにも倍以上の時間がかかるけど、助けがあると半分以下の時間で済んでしまう。

スムーズに出国手続きを終えられたので、飛行機の出発までは小1時間ほどある。いったん航空会社のラウンジへと案内され、ここでもまた、台湾人の熱いもてなしを受けることになる。

忘れないうちに朝の薬を飲んでおきたくて、なにかしらお腹に入れたかった。翻訳アプリでそれを伝えると、ラウンジのスタッフがブッフェのメニューをスマホで写真に撮って見せてくれた。ニコニコと朗らかに微笑んでいる。

クロワッサンとバゲットのようなパンをお願いすると、「これは?これなんかもどう?」と熱烈に勧められる。断るのもなんだし…とやーやー言うてたら、ゼリーにジュース、卵焼きに、おかきまでもがテーブルに載っていた。

おかきはラウンジスタッフのおすすめ品である。
退院してからのおかき消費量たるや。

朝5時台とは思えぬ量。

台湾での最後を食事を終えて、感慨にふけっていた6時20分過ぎ。飛行機の準備が整ったと告げられ、席を立つ。

ラウンジを出ると、夜がすっかり明けていた。

プロムナードと呼ばれる長い廊下を車椅子に乗せられて通り抜ける。両サイドに免税店が立ち並んでいるけど、いまのわたしには必要がない。煌びやかなネオンが、視界の端を飛び去っていく。

搭乗口には、こんな朝早くにもかかわらず大勢の客が待っている。日本は人気の観光地なのだな、と冷静に見ている自分がいた。

ただ、そちらの列は通らず、隣にある大きな自動扉からボーディングブリッジへと進む。今のわたしのように、優先搭乗の必要がある客を通すゲートらしい。後に続こうとした男性がスタッフに止められているようだった。

空港スタッフは、下り勾配では車椅子を後ろ向きにターンし、ときおり「写真撮る?」と足を止めてくれる。待たせないよう慌ててシャッターを切った結果、頭隠して尻隠さず、なエバー航空機が撮れた。

機体ドアのギリギリまで車椅子で乗り付け、そこからは松葉杖で機内を進む。進むといっても、用意された座席は入口右手のいちばん前。新幹線の車両先頭のような少し広くなっている席で、ほんの数歩の距離だった。

通路で松葉杖をクルーに預け、シートに座る。

「ドリンクはいかがいたしますか?」

流暢な日本語に「あれ?」と思うと、胸元に日本人の苗字が書かれた名札が見えた。そういえば、夫が「日本人クルーが1人乗っていた」と話していたのを思い出す。同じ人だろうか。

ウェルカムドリンクは炭酸水をお願いした。ただ、できるだけ水分は取らないでおきたい。トイレのために松葉杖を取ってもらったり、すっ転ばないよう見守ってもらうなど面倒をかけてしまうのが申し訳なかった。

フライトは3時間。なんとか耐えられるだろう。
と言いつつ貧乏性が出て、ちょっとだけ飲んだ。

ドアは定刻の7時5分ほぼオンタイムで閉められた。機体がターミナルからじりじりと離れていく。

この頃には、高雄空港は雨に包まれていた。外では、整備士さんたちが手を振って見送ってくれているようだった。多分。感動的なシーンのはずなのに、窓についた雫で滲んでガラケー並みの解像度になっていたので本当に手を振ってくれていたかは不明である。

どんよりとした雲が覆う空の下をゆっくり進むエバー航空BR0182便。

滑走路で定位置につくとタービンが回りはじめ、エンジンは大きな音を響かせる。スッと動き出したかと思うと、乗客を座席に押し付けながらスピードを上げ、ものの数秒でふわりと浮いた。

何万回、何十万回と繰り返されてきた、いつもどおりのなんの滞りもない離陸。わたしが取り残されていただけで、世の中は粛々と回り続けていたのだ。

世間のスピード感についていけずにいるうちに、台湾の街が小さくなっていく。心はまだ複雑なままだった。

上昇中の機体は、心臓がヒュッ!となる程度には揺れた。気流に台風の影響が出ているらしい。ただ、それも一瞬のことだった。雨雲の上に出ると、そこには眩いほどの、「天国ってこんな感じだろうか」などとベタなことを思ってしまうような景色があった。

この景色を夫は「変な宗教の本の表紙」と表現した。
言い得て妙。

シートベルトサインが消えると、日本人クルーがやってくる。

「機内食は中華か和食、どちらがよろしいですか?」

ききき機内食!
その存在をすっかり忘れていた。

腹の中ではまだ、ラウンジで勧められるままに食べたおかき群が存在感を放っている。機内食が出ることも、夫から聞いていたのに…なぜ忘れていた…。途方に暮れながらも、和食と答えておいた。

国際線はやはり飛行高度が高い。奄美群島の影をうっすらと感じて以降は、変わらない景色が続いている。

ぼんやり眺めているうちに、うとうとしたようだった。目を覚ました時には、飛行機はぐんと高度を下げていた。陸地の輪郭がはっきり見えている。

四国だ。

機内Wi-Fiに接続したスマホでGoogleマップを追う。愛媛から香川に入るあたりの地形が見えた。

自分が乗る飛行機が、今どこを飛んでいるのかを追いかけるのが好きなのだ。地図の答え合わせをしているようであり、伊能忠敬の凄さに毎度感服するという、飛行機移動時の恒例行事になっている。

四国を過ぎて大阪湾が見えると、目線の先には淡路島の端が見えはじめる。見慣れた景色。関空はもう、目と鼻の先だった。

あぁ…日本に帰ってきたんだ...。
人に運んでもらうばかりで自分の足で歩いていないわたしには、やっぱり実感が湧かなかった。

飛行機はさらに高度を下げた。
「当機はこれより最終の着陸体勢に入ります」

足もとで、車輪の出る音がした。


ついに(片足で)日本の土を踏んだ骨折り女。
台湾入院日記、ついに完結。

次回、ただいま日本
(9月13日夜 更新予定)

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