あの日の母の歳を超して、わたしは

【2024.4.5】

朝から連続テレビ小説『虎に翼』に感銘を受けていた。石田ゆり子さんと伊藤沙莉さんは好きな俳優さんのツートップといってもいいくらいで、キャストが発表されたころから楽しみにしていたのだけど、それにしても素晴らしかった。

お見合いは絶対だと感情的になる母親に対しての第一声が「ありがとう、私のこと心から愛してくれて」と来た。一触即発の場面でそんなこと言える娘がいるかい?

だけど決して折れはしない娘は「私にはお母さんが言う幸せも地獄にしか思えない」ときっぱり。母は自分の人生を否定されたような気持ちになっていやしないかとハラハラしたけど、こんな気持ちのいい回収のしかた!と立ち上がりそうになった。

「私は私の人生に悔いはない。でもこの新しい昭和の時代に自分の娘には“スン”としてほしくないって、そう思っちゃったのよ!」

NHK連続テレビ小説「虎に翼」第1週(5)より

自分の人生を生きぬく覚悟にあふれた女性たちの物語に、物心ついたころには男女雇用機会均等法が成立していた時代の私の胸がジンとする。

あぁいいものを見たなぁといくつかの言葉を反芻して、ふとリビングの隅に目をやると点々とねこが吐いたものが床に「へちゃぁ…」と力なく落ちていた。起き出してきたねこが困ったような申し訳なさそうな顔をしている。

ええのよ、ええのよ、ねこだもの。テッシュで吐いたものを取り、ウェットティッシュで拭きあげて、「よしよし、ねこ飼いの正しい一日がはじまったぞ」と誇らしい。

朝ごはんはトーストにたまごサラダをたっぷり乗せたもの、葉っぱのサラダ、そして今日はなんと晩柑がある。

思えば、母親が半分に切ったグレープフルーツを先がギザギザになったスプーンで掬って食べるのを羨ましく思っていた子どもだった。とんでもなく贅沢に見えて、ひとさじもらって食べてみたことがあるのだけど、苦くて飲み込めず涙目。

もしかするとあの日の母の歳を超して、わたしはグレープフルーツが食べられるようになったし、晩柑なんて洒落たものを買うようになり、大人になったなと感慨深い。

食べ終え食器を洗いながら岸政彦先生の『20分休み』を聴いていたら、どんな時に大人になったと思ったかと話している。

こういうタイミングの妙に出会うと、ささやかな人生の醍醐味を感じてしまう。

今日も家にこもっているのはもったいないような気がして、よし、やはり公園に行って仕事をしようと少しばかり車で走る。

伊丹空港が近いと言っていいのかちょっと迷うくらいの距離にあり、空港のすぐ脇にまるで第3の滑走路のように開放された公園がある。ここが好きで、たまに来ている。

ごっついカメラを構えた人がいる中で、場違いにノートパソコンをひらき書きものをする。書きながらも推しの機体が来た音がしたら見守ったりして、横道にそれているようでちゃんと捗るからこの場所はやはり、いい。

自分の理解を超えた、圧倒的にすげぇものを見ていると胸がスッとすく。

日暮れとともに帰路につき、夜食べるものを買って帰る。わが家は残業過多な夫は仕事の合間に外で食べて帰ってくるため、平日は自分の腹さえいっぱいになればいい。

ねこは子猫時代から同じメーカーのカリカリを、特に文句も言わず10年ずっと食べ続けている。

立ち寄ったスーパーの惣菜コーナーには、いちど貼られた値引きシールの上にさらに値引率の高いシールが重ねて貼られたパックが並んでいた。

限られた選択肢の中から、パック寿司を手にとる。そういえば昨日も寿司を食べたなと思い出しながらも、その選択は揺らがない。

お手本のような日本人だなと思いながら10貫をたいらげた。


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