仕事人
新しい年が始まった。茶番もそろそろ”終わりにする”ようだ。社会の空気もガラリと変わるかもしれない、・・・ということは、正直どうでもいいと思っている。「社会」は私の預かり知らない世界のことだから。
この茶番は、テレビなどのメディアが虚構であることをうんざりするほど見せつけた。それに連動して社会が動くことを目の当たりにして唖然とした。
結局、社会も虚構だ。
虚構は虚構を作っている人、つまり、扇動する人たちと扇動される人たちで成り立っている。
もう、勝手にやってください、と思う。この茶番が終われば、天然痘テロだとか、気候変動だとか、食糧危機だとか、別の虚構が用意されているのだろう。正直、付き合いきれない。
そう思うと、感情も動かなくなった。これはとてもありがたい。周囲との摩擦が起きなくなるから。
私が自分の”素直な感情”を表すことを、周囲は戸惑い、迷惑だと感じる。私がとても変わっているからかもしれないし、私の立ち位置が特に低いからかもしれない。子どものときからずっとそうだ。
今年の初夏、夫無しで夫の実家に住むことにしている。それを知って、実家の母は、私が遠くに行くことを寂しいと姑にも言うらしい。申し訳ないけれど、過去から今に至るまでの母の意向を鏡のように反映させた結果だ。今さらそんなことを言うの?と思うが、特に感情が動く訳でもない。気持ちは分かるけれど、私の意向を母が受け入れないことも知っている。
息子たちもそうかもしれない。得体の知れない液体を、口や皮膚という正規ルートではなく、血管に注入するという非正規ルートで入れた。生んだ母親にとっては、悲鳴でしかない話を、オカンはインボー論にはまっていると思っている。
母に振り回されて、何度も泣いた。息子たちのことでも何度も泣いた。そのことは誰も知らない。私の感情も意向も取るに足らない問題だから。
だから、感情が動かなくなるのは、とてもありがたい。そうなると、仕事があるところにためらいなく行けるし、サクサクと仕事ができる。
私の言う「仕事」はフェミニストたちが言うような”社会的地位”を得るための「仕事」でもないし、お金に換算する「仕事」でもない。
私は”虚構世界”の人間でもないのに、自分が”虚構世界”に棲息していると勘違いしていたわけだ。だから、”虚構の世界にいる人たち”の気持ちを理解することを求められるのは当然だけれど、その外にいる私の”素直な感情”は理解されないのは当たり前だ。ようやくそれに気づいた。
”虚構世界”にいる人たちと一線を画して世捨て人でいることもできると思う。だけど、やっぱり仕事をしなければいけない。”したい”ではない、”しなければいけない”。
15年前、私が回収されなかったのは仕事をしろということだ。他に理由があるだろうか?この茶番で、私がこれまで取り組んできたほとんど全てが虚構だったことが分かった。全身の力が抜けてしまうほどのショックだ。状況やするべきことをなかなか理解しない私を分からせるために、仕組まれたことだったと思う。
幸か不幸か、私の周囲は”虚構世界にいる人たち”ばかりだ。その人たちが私にとっての顧客だ。仕事にさしさわりがあるなら、その人たちの気持ちは受け取らずに流せばいい。私は”虚構世界”の外にいる人間だから。
報酬は何だろうね。”虚構の世界にいる人たち”から感謝されたいとも思わないし、もらったところで嬉しい”モノ”はほとんどない。仕事があるという感謝だけ。
ということで、今年は仕事人になるということだ。別に目標というのではなく、ようやくその自覚ができたってことかな。
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