大人
ビンボーだったけれど、私はバブル世代。だから、大人だとされる世代になる。
私と同世代の人たちがどう考えているかは分からないが、私もまた、戦後GHQにすり替えられた価値観を持つ大人に悩まされてきた一人だ。そういった大人たち、つまり後期高齢者を尊敬しなければ”いけない”大人だと思うことを、やっと放棄できたのは中年になってから。
大きな理由は、味方がいなかったこと。「親孝行は大事よ~」とか、「親を大切にしなきゃ」とか。分かったような顔をして、無責任に無邪気なことを言う人はいたが。
「親孝行すべし」というのは、どこですり込まれたのだろう。人生の半分を以上は、この呪文に取り憑かれ、苦しみ抜いた。それこそ、自我を落っことしてくるくらい。
『学問のすゝめ』で親孝行について語っている部分がある。
ここの部分はもう何十回読んだか分からない。
とは言え、「親孝行すべし」は、そうとう頑固に染みついていて、なかなか取れなかった。
「親孝行」と言っても、親がエゴをぶつけてくるだけの存在であれば、無理に尊敬しなくていい。それ相応のことをすればいい。
”すっきりと”そんな風に割り切れるようになったのは、ここ数年のこと。
親や親世代の人たちも、時代の被害者だと今は思っている。だから、しょうがないね、と、ずいぶんと優しくなった。そして、親としてではなく、高齢者として接する。介護施設のスタッフ的対応だと思う。税金を使うでもなく、無料対応だけれど。
『母が重たい』など毒親シリーズを読みまくっていたときがあった。と言って、ウチの親がそれほどひどい親でもなく、たぶん標準的なところだと思う。毒親がフツーで、そうじゃない人のほうが珍しいのかとも思うくらい、私の周囲は親子関係で悩む人だらけだった。考えてみれば異常なことだ。それは、GHQが植え込んだ破滅の思想に汚染されてしまった親が多いということが、だんだんと分かってきた。
私のような変人でもなければ、誰だって、自分は常識人だとか、フツーの人だと思っている。それが、たとえ誰かからの押しつけられた考えであっても、自分の考えだと思っている。それをひっくり返すことはまず無理。
よく言われることだけれど、親は決して変わることはない。だから、子どものほうが距離の取り方を調整するしかないのだ。
でも、自分のルーツのようなものは、絶対に必要だと思う。親がダメなら、故郷だとかご先祖さまということになる。この国の人は、それも徹底的に壊されている。国際金融資本にね。どなたかがおっしゃっていたけれど、自分たちの神話が語れない民族は滅びるって。たぶん、私たちのご先祖さまたちが受け継いできたものが、あちらさんにはとても厄介だったから、徹底的に叩いた結果だろう。
だから、彼らの思うツボにはまってしまった親も祖父母もすっ飛ばして、その前に生きた人たちをご先祖様として意識することにした。
汚染された価値観は受け継がないし、共有もしない。
特に、若い人には気付いてほしい。
その常識はどこが起源なのか。後始末をするのはあなたたちなんだから。汚染された大人たちの価値観なんて引き継がなくていい。見習うなら、そのずっと先のご先祖様を参考にしてほしいと思う。
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