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本質を取り巻くラベル

本日も小休止。明日も、かもしれない。予言しとこ。


私は個別指導の塾でアルバイトをしている。

私が普段授業を受けもつ生徒は全員受験(受検)を終えた。まだ試験が続く学生もたくさんいるはずだ。この記事を読んでいる人の中にはきっと当事者はいないだろうけれど、ぜひ自分を信じて当日を迎えてほしい、という思いだ。

おしまい。

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勝手に終わらせるな(ごめんなさい、レポートのせいでテンションがおかしい)。それは小休止というか、ほぼ休止。



塾で受けもっている生徒の中に、高校3年生がいる。
年の差、2つしかないんだよなあと思いながらいつも見ている。
彼はもう早々に受験を終えているが、今月の末まで塾に通うことになっている。
1ヶ月とちょっともすれば某マンモス大学に入学する。

彼は高校2年生の冬に入塾した。初めての授業を担当したのも私だった。
まだ部活が忙しい時期で、塾にも本当はあまり行きたくなかったらしい。確かに最初の授業で三角関数のプリントを持ってきたら、すごく嫌な顔をされたし、その後も手があまり進んでいなかったのを覚えている。

1年くらいたって、今では英語を教えている。
まだまだ知識が抜けてるなあとか、単語力とそれを身につける習慣そのものについて今のうちに口すっぱく言っておいた方がいいかなあとか、色々思うことはある。

でも、彼についてすごく思うのは、彼なりの理論をもって生きているんだなあ、ということだ。

同世代だからだろうか。彼とは問題を解く合間にも勉強以外の話をすることがよくある(もちろん勉強もちゃんとしている)が、感じ方も似ている。

「勉強をちゃんとやる」という点ではなかなか筋が通っていない(そりゃそうだよな、わかるぞ、やりたくないよな(目の前の白紙のレポートを見ながら))のだが、生き方には筋が通っている。

具体的にどう、と言われると難しいのだけれど。
一見「いや、それはこうすべきだろう」と思った彼の行動も、話を聞いてみると納得することが多い。

そんな彼とよく、小学校の道徳の授業について話をしていた。
彼は自分のことをひねくれ者と考えているらしく、道徳がああだこうだと語っていた。
まあ、世の中、みんなどこかでトガってるし、ヒネクレてるし、マルいよ。なんて言いながら彼の話を聞いていた。

彼と話していると、自分がもっている理論もどんどん階層を重ねていく気がしている。刺激を受けて、あれやこれやと考えを巡らせることが多くなった。
重箱の隅をつつくつもりも、彼の考え方を否定するつもりも全くないし、ただ私は聞いていることが多いのだけれど、それはこうともとれるよな、などと考えていると、だんだんと自分の世界に入ってくる。
自分は自分の理論でしか考えるすべがないので、自然とそうなるものかもしれない。

この1年間、週に1、2回、たかだか1時間ちょっとの授業の中で彼と話すうちに、面白くなってきた。

でも、彼はもう来週にはいなくなるんだなあと思ったら、一定の価値というか、そんな言葉では言いたくない何かを与えてくれた存在として気持ちは伝えたいなあとか思ったり。
伝えたいというか、伝えなくちゃ、でもある。

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考え方に刺激を受けるといえば、だんだんと、その刺激を与えてくれる人を選ぶようになってきた。

社会的立場、年齢、繋がりの種類。いろんなものが私たちの周りを取り巻いている。だからこそ、ひとりの人間と、フラットに向き合うというのは難しいというのをこの1年で強く実感した。

逆にいえば、どう頑張ってもそういう「取り巻くラベル」を考えてしまうような相手との、私の意味するところでの「人と人との付き合い」は、達成されるのがとても困難だと思っている。

もしどうしても勘案してしまって何もいえないとか、逆に自分の方がものを言える立場だからと少し傲慢になってしまうとか。そんなことがその人との関係の中に前提として組み込まれているなら、それはちょっと、見直した方がいい場合もあるんじゃないかなって。

「取り巻くラベル」でレッテルを貼ってしまったり、あるいは逆に貼られてしまったり、「取り巻くラベル」が絡まって本体、本質が見えなくなってしまったり。学生だからなんでもいうこと聞いてくれるとか、大人だからなんでもできるとか、年下だからイエスマンにならないといけないとか、論外(…って言ったら、多分誰かには叱られる。それも承知だ)。
もちろん、なんでも許されることを意味するとも思わないけれど。

それって多分、人と人との付き合いに似て非なる、別のものだと思う。
それ自体が悪いのでもない。同じものに分類するのは、何か違うのかもしれない、と思っている、ただそれだけ。

正直、まあそうは言ってもね〜、と言っている自分もいる。思考にはまだまだ、深さを、幅を、繋がりをより強固にする余地がある。



…と、ひとりの生徒が見せてくれた世界で考えた、昨日の夜。


(小休止って言ったのに2,000字も書いたな!)