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持続可能な社会に必要な「腐る」仕組み

今世の中は、SDGsという目標の達成に向けた動きが活発になっているようです。SDGsがめざしているのは「持続可能な社会」ですが、そもそも持続可能な社会とは一体何なのでしょうか。

地球の資源は有限ですので、「資源を使って作りっぱなしにする」のではなく、「作ったものが何らかの仕組みを経て、資源として再び活用される」ような、「循環する仕組み」を持つ社会が、「持続可能な社会」だと思います。

循環する仕組みについて考えたとき、ものを生み出す側面については、前向きというか、プラスのイメージがあります。生み出すこと、生まれることは喜ばしいことであり、いかに生み出すか、いかに創造するかということに、みんな頭を悩ませ、心を砕いている気がします。

一方で、生み出したものを循環させるためには、どうしても「再利用できる形に処理」する側面が必要不可欠です。生み出すことを考えるのと同じ熱量で、再利用できる形に処理することが必要になります。

自然界に置き換えて考えてみると、「再利用できる形に処理」する仕組みが、「腐る」という仕組みだと思います。個人的に、「腐る」という言葉には負のイメージがあります。

見た目的にも変色して、感じが悪くなり、嫌な臭いがしてきます。ハエとか、好ましくない印象の虫が近寄ってきます。そうなるともう、臭いものには蓋をせよ的な発想で、自分から遠いところに置いておきたいと思うようになります。

けれども、自然界において「嫌な臭いを発生させる」のも「その臭いに引き寄せられてハエが飛んでくる」のも「再利用できる形に処理」するという壮大な仕組みのうちの一つと考えると、何だか凄いことのように思えてきます。単純に、「嫌なもの」という印象だけで片付けられない気がします。

人間が(というか少なくとも私が)「腐る」ということから目を背けがちな一方で、自然は、生み出すことと同じ熱量で「再利用できる形に処理」することを敢然と実行している。それを踏まえると、SDGsが「持続可能な社会」・・・つまり「循環可能な社会」を真剣にめざすとき、どうしても生み出す側に向きがちな視点を、むしろそれ以上に「再利用できる形に処理」する仕組みに向ける必要があると思います。
言い方を換えると、SDGsを声高に掲げつつも、「腐る」仕組みが考慮されていない取り組みになってしまうと、理想も絵に描いた餅になるような気がしました。

・・・などと言いつつ、家のゴミを出し忘れたら、家の中に置いておくのが嫌で、家の外のゴミ箱の中にしまっておく(臭いものを自分から遠ざける)んだろうなぁ。


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