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愛されるより愛したい/愛するより愛されたい。「好き」な気持ちに理由はいるのかどうか。

突然ですが。

KinKi Kidsの代表曲に、『愛されるより愛したい』という哲学のようなタイトルの曲があります。

この曲が発売された時、考えました。

愛されるより愛したい

愛するより愛されたい


どっちがいいのかなぁどっちが幸せ??

当時学生だった私の周りの女の子は、

愛するより愛されたい

が多かったように思います。そんな私も例に漏れず愛されたかった。

それが今。

まさかの

愛されるより愛したい


が、めちゃめちゃ分かる!!!!!!

いや、愛されたいですよ!!!!

愛されたいけれど!!!


同じくらい、もしくはそれを上回って、愛しもしたい!!!


思春期以降、この20うん年の時代の中に何があった?!

ガラッと変わった気持ちの変化。それも多分、やっぱり、

1歳の私を幸せにしたい

から始まってるんだとおもいます。

自分は愛されて育ってきた。それは時に不器用な愛され方だったかもしれない。思うようにいかない愛され方だったかもしれない。でも、私も兄も、確実に愛されて育ってきた。それに気付くことがたくさん出来たから。憎んでた家族だったけど、そのままで「愛されてる」とうけいれることができたから。「家族も家族で頑張ってたんだな」と知ることがたくさんあったから。

そしたらその時、自分の中にあふれでた愛情を、私も愛する人に注ぎたくなった。枯渇してたはずの愛情が、潤った。

それが気持ちを酌み交わした誰か、がいたり、子供がいたら、また話しは違ったのかもしれないけれど、私には子供どころか、お付き合いしている人もいない。

この滲み出るあふれ出る愛情を注ぎたくなった時に、また振り返る、ふたご座くんが話してたこと。

いろんなその人のことを知って、自分の中で、これかなっていう当たりをつけて人を好きになる

「あぁ、ふたご座って情報収集大好きだもんね」とか、そういうのはおいといて(←だからディスるな。)、そこじゃないんですよ、根本は。

好きになるのに理由っているの?


これです、これ。

私、好きになったら、「あぁ、好きなんだな。好きになったんだなぁ。あぁ、そうかぁ(しみじみ)」と思う人なのです。そこに理由っていらない。そこからすごいエネルギーかけちゃうけれど。

「あれが出来るから」、「これができるから」、「それが上手いから」、「こういうのがすごいんだ」、「ここが好きなんだ」、そういう理由は全部後付けでよくて、根本に理由は何にもいらない。

だって、「あれ」や「これ」、「それ」が出来なくなった時どうするの?って思うから。好きじゃなくなっちゃうのかな?

私の中で、後付け出来る理由は好きになった人にはもちろんたくさん出てくるけれど、「どうして好きになったの?」と根本を聞かれて答える返事はいつだって、

「気づいたら好きだった」

理由、不要。以上。

そしてこれが1番強いと思ってます。

理由がいる時って、「好きになろうとしてる時」なような気もするし、「どんなに素敵な条件(?)を兼ね備えた人でも好きになれない友達止まりの人もいる」し、結局、理由っていらないんだろうなと思ってます。

恋とか、好きって、落ちるものだから。

なんて、これは女性だけなのかもしれないけれど。

男性ってもしかしたら、頭で恋をするのかな。「好き」の感情にも気づくのが遅いっていいますよね。すごい人は何年も経ってから、という方もいるようで…。恐らくいなくなって気づくパターンなんだろうなぁ。

ということで、この哲学みたいなKinKi Kidsのこのタイトルの私の中の答え。

愛されるより愛したい。だけど、愛するだけじゃなく愛されもしたい。

やっぱり「相互に」「お互いに」っていうのが大事なんだなぁ。

そして、

好きになるのにやっぱり理由はいらない。

結局そこだった。


…理由のない好き。

そんな気持ちの交換をしたいなぁ。

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