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隠してても見えているもの-ある日の自分メンテナンスでの会話-

先日の自分メンテナンスでの主治医との会話で、「2番目」であることを若干煽られた私。

「養ってもらえるならいいんじゃない?」

直球どストレート!ここまでちゃきっと言われると笑うしかない(苦笑)

…しかしなぜそれを言う。

ご本人は、「煽ってるわけじゃないよ」と笑いながら言ってました。さすが、医者って突き抜けてる!(多分そういうことじゃない)

というか、私が「2番目」になってることなんて話してなかったのに。聞かれたこともなかったのに。

いつからそう思ってたのかしら???

と、思ったけど、たぶん、どスタート(つまり初診日)から思ってたんだろうな。まる。

いつから確信に変わったかは分からないけど、とある時点で確信に変わってたんだろうな。まる。。

「それで私がいい間は、それでいい」と、思ってたらしい。もはや何も返せない。まる。。。

で、その日の会話。

主「いやいや、○○さんのこと好きでしょ。分かるよね?気づくよね?気づいてないの?それ、好きだよ。好きってちゃんと言われないの?言わないあたりがずるいなぁ。好きだよ、それ。好きだからに決まってるじゃん。こじらせてるなー。夏からずっと「○○さんが好きなんだなぁ」と思ってたよ。」

私「え、、、、だって、口にしてこないし、、、何を求めてるのか戸惑うことが多くて困ってた。」

主「困ってたのは知ってるよ。特に夏以降、困り果てて消耗してるのも分かってたよ。それが今の体調に出てるんだよ。でもね、だから好きじゃないって?いやいや、気付くでしょ。好きでしょ。ってか、好きだよ。」

男性心理を主治医から解説される私。。。一体なんのメンテナンスをしに行ってるんだ…(汗)

そして一日(というかこんな僅かな時間)にこんなに「好き」を連呼されるって…(汗)

つまり。

隠してても、言わなくても、それは私や、彼の言動、行動から、滲み出てたり伝わるものがあるんだなぁと改めて感じた。結局、当事者より周りの方がきちんと見えてることってある。「井の中の蛙大海を知らず」とはこれだろうか。3ヶ月前にも思ったんだけどな。「あえて聞かなくても」ということが、腹落ちした瞬間だった。

その後の会話はこう続いた。

主「気付いてないの?」

私「んーー。好きなのかな、、とは思うけど、本人はそれを認めたくないんだろうし、見ないようにしてるから、どうしようもできないよ。私に選択肢ないし、2番目だもん」

主「2番目が問題なのかな?順位を競ってるの?」

私「順位…?競ってないけれど…ただ、私の理想とする生活を実現するには、大方、世の仕組みとしては今のままでは叶わないと思うの。」

主「そういうことなんだよね。お互いそれでいい間はいいと思うんだ。求める幸せの形が一緒の間は成り立つと思う。でも、いま、○○さんの自己肯定感が上がって、○○さんの考える幸せの基準が上がった。上がった時に、彼の求める部分と均衡が取れなくなった。2番目とか、1番目とか、そういう問題じゃないと思うよ。」

私「でも、だから彼は生きにくいと思うよ。理想とする形やしたいことはあるんだろうけど、なるべく何も変えずにいたいから、常にフラストレーションを抱えてて、ギャップは大きくなる。見ないようにして抑圧される気持ちが大きくなる。いいとこどり出来ることもあるかもしれないけれど、出来ないこともあるからしんどいと思う。生きにくそう。」

主「そうだね。生きにくいだろうね。」

主「ずっと変わらずにあるものなんてないから、お互いに「そのまま」でいられることなんてないんだよね。ずれた時が、別れの時なんだよ。恋人も、夫婦も。もう少し辛いと思うけど、たぶん、血が流れると思うけど(ほんとの血は流れないらしいけど、それぐらいしんどくて大変ということらしい)、がんばろうね。」

という一連のやり取りをして分かった。

「2番目」ということが問題なんじゃない。

「1番目」でも、私の考える幸せが、彼の考える幸せと違ったら、うまくいかなかった。


ということ。

極論、私と暮らす生活の中に彼が普通に家にいたら、私は何も思わなかったのかもしれない。コロナ禍がなかったら、こういう考えにも至らなかったろう。行動に制限がかかった時、何を願うのかが見えてくる。

これは、相手がどうであれ、私の中では身も心もまっすぐ彼を想うことが出来たから気づけたことだ。自分の望む生活が見えてきたのは、大きな発見だ。

そしてその直前に他の人と話してた渦中のご結婚のこと。すごい熱弁をして大肯定をしたあと、「ん?なんだ?この感じは?」と思っている自分に気づいた。

それ自体、すごくかっこいいし、幸せでいて欲しい。

でも、もう1つ、私の中に何かある。

それは、

「羨ましい」という感情だ。

私は、彼らがすごく羨ましいんだ。なんだかんだと言われながら、そこまでしてもらえる女性が羨ましい。そしてそうする男性が、かっこいい。

---あぁ、そうか。

私がこの報道のされ方に不快な気持ちをずっと思ってたのは、そういうことだ。

自分がいる一般人の世界ですら叶わないものを、想像では慮れないほどのプレッシャーを抱えるお2人が実行にうつす。行き着く先に見えてくるのは、これだ。

芸能人が結婚して、「あの二人はすぐ別れるよ」とかいう外野(親を含む)がすごく不快なのもそれだ。

当人同士がいいんだから放っておけばいいじゃないか。誰かの目を気にしてやめたって、誰もその人の人生の責任は取ってくれないし、誰も代わりに生きてはくれない。「すぐ別れるよ」と散々言ったって、10年後には手のひらを返した様になるんだから。いい例があるじゃないか。辻ちゃん夫婦だ。

他にも様々な話をして、人生に絶望もしたけれど、ここのくだりだけ思い返すとなんだかこころがほっとする。偽らなくていいからだろう。

ただ、とりあえず。バレてんじゃん!!!笑

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