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ナゴルノ・カラバフの思い出

「ナゴルノ・カラバフ」をめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの軍事衝突は残念ながら停戦合意後も戦闘が継続しているようです。同地域をめぐる国際情勢や、歴史に関する解説は既にネット上にたくさんありますので、2012年に同地域を旅した時の写真を上げながら、同地域の雰囲気や人々の生活をご紹介したいと思います。

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ナゴルノ・カラバフへ行く実質的に唯一の方法は、実効支配しているアルメニア側から行くルート。今は戦争中ですが、こんな風光明媚な光景が広がっています。ナゴルノ・カラバフの”領内”は終始こんな感じでした。

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(左)道路は舗装されているものの、途中何度も牛や羊に道を阻まれます。(右)というのどかな風景の中に、やはりそこは紛争地帯。ふと気づくと監視塔があったり。(軍事施設の写真を撮るのは…やめようね!)

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アルメニアーナゴルノ・カラバフの"国"境はこんな感じです。未承認国家ですが、一応ビザも発給しています。

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そしてこれが首都ステパナケルトの唯一の観光スポット…の謎の像。

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首都…とはいっても、人口15万人の"国"のうち5万人が住んでいるだけで、町全体の雰囲気としては典型的な旧ソ連圏の田舎町、といったものでした。右はナゴルノ・カラバフの"国"立大学。これが私が見た中では一番きれいで存在感のある建物でした。(左の全景はAFPの記事から)

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アルメニアはキリスト教国だけあって"西洋感"はあるのですが、市場の雰囲気は完全に中央アジア、シルクロードのそれでした。

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さてその首都から車で30分ほど行ったシューシという町、ここは前回の軍事衝突の爪痕が多く残る土地で、アゼルバイジャンの廃墟跡にアルメニア人が入植している場所でした。

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これは焼かれたモスク(アゼルバイジャン人はムスリム)の廃墟。

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このように、廃墟に電気や水道を引いて。

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またアルメニア正教の教会で―

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運よくミサを見学出来ました。

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ナゴルノ・カラバフは徴兵制。私が訪問したのは2012年。この写真に写っている子供たちは、今ちょうど前線にいるでしょう。

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