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言っていいこと・言っていい人・言っていいタイミング

先週、施設に入っている義母が誤嚥性肺炎になり、2週間ほど入院することになった。週末はたまたま3連休。急きょ土曜日にお見舞いに行ってきた。

義姉夫婦と夫と私と息子でお昼ご飯を食べていた時に、少し出たのが“胃ろう”の話。誤嚥性肺炎のことを調べると、ゆくゆくはそういうことを考えなければならないタイミングが来るのだろう…ということは、夫とも話していた。しかし、入院はしたけれど、まだ今回の肺炎についても専門医の細かい診断を受けられていない段階。とりあえず、来週ちゃんと診てもらって、これからの話はそこからだねーという感じで、話をしていたのだけど、義兄がその流れで以下のようなことを言った。

「胃ろうは延命だから。延命をしてまで生かす必要はないんじゃないか」

うむ。なんだか微妙な空気になった。そりゃそうだ。初めて、自分の母親の命の期限を意識せざるを得ない状況に置かれている夫と義姉。それだけで、それこそ寿命の縮む思いをし、それでも祈るしかない数日を過ごしていたと思う。結婚して、義母と家族になったとはいえ、義兄と私にとっては、やはり“義理”の母。

これが、実の兄弟同士の話だったら、
これが、義母が元気なタイミングの世間話だったなら、
これが、夫や義姉に意見を求められた時ならば、私も何も感じなかったかもしれないけれど、今は違う。案の定、後で夫がボソッと「簡単に言ってほしくなかった」と。そりゃそうだ。

義兄の意見は、ある意味、普通の正論だ。ただ、言っていいことでも、言っていい立場の人でも、言っていいタイミングでもなかったと私は思う。でも、それを判断するのは、いつだってそれぞれで、決まった正解なんてものはない。だから、とっても難しい。だから、とっても気をつけないといけないと、改めて思った。


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