上手く言葉にできない日々
放っておくと心の中に置き去りにされてしまう気持ちを言葉にしたくて始めたnote。
でも、何故かこの1週間ほどは上手く言葉にできない。
夫と話をしていてもなんだか自分の言葉がぎこちなく感じて、無駄に喋りすぎているような、そんな感覚。
何故だろう……?
と、思い何度か自分の気持ちと向き合ってみるけれど、私の中のわたしは言葉を返してこない。
本当は、息子の慣らし保育の日に1人を満喫しようと思っていたけれど、急な発熱で何日が潰れてしまいました。
それでも、昨日は予定通り最後まで保育園で過ごせたし、今日も保育園へ送り出してきました。
時間は、ある。
ずっと欲しかったひとりの時間。
それなのに、何故か急にしたいことが何も見つけられなくなってしまって。
あれほど色んな事がしたかったはずなのに、あれほど有意義に過ごそうと決めていたのに。
なんだかご飯もそんなに欲していなくて、
いつもあれだけ色々食べたくて仕方がなかったスイーツも食べたいと思えなくて。
先日パートの就業前健康診断に行った時、
母乳をやめたからか、引っ越してきて車に乗る生活になって散歩をしなくなってしまったからか、
あと5kgくらい痩せたかったはずの体重が、更に1kgくらい増えていたのが、それが妥当な生活だと理解しているはずなのにショックだったのかも知れない。
……つらかった、そう。
生後8ヶ月になった息子。
未だに朝まで寝てくれたことなんてなくて。
完ミに変えたら朝まで寝てくれるかな?なんて期待してたからかな。
引っ越してきてからは毎日同じ生活の繰り返しで、
いつも出掛ける子育てひろばも、
定期的な赤ちゃんイベントも、
通っていた鍼灸院も、
その奥さんが経営するキッチンカーの出店日に合わせてお出掛けするのも、
すべてがなくなってしまったからなのだろうか。
そうなのかもしれない。
何でもないと思っていた墨田での毎日は、ちゃんと私にとっては大切な居場所だったのかも知れない。
今は、また1人になってしまった気がしてしまう。
哺乳瓶拒否で出掛けても私の方が敏感になってしまっていた1月。
その後も夜泣き対策でお昼寝に慎重になってしまって出掛けられなかったり、
息子の発熱で家に籠っていたから、ただそのせいにしてしまおう。
今はただ、言葉はなくてもいいと思うのに、
無駄に夫に話をしてしまうのは、きっと1人が寂しいからなのだと思う。
けれど、私の紡ぐ言葉がどうでもいい話ばかりになってしまうから、夫はほとんど聞き流している。
敏感にそれを感じ取れてしまう私は、その夫の表情を横目で見て、また寂しさを覚えているのだと思う。
夫が別に私に関心が無いわけでも、嫌いな訳でもないことはわかっていて、
多分息子のことも、見方を変えれば全然つらくないはずなのに、そうだって思いたくて、私の中のわたしが自由に言葉を発せなくなってしまったような気がする。
ここでは声を大にして言葉にしようと思う。
私は今、ほんの少しのきっかけで泣き出してしまいそうなくらい寂しい。
慰めの言葉も、励ましの言葉もいらないから、
美味しいスイーツも、ひとりの時間もいらないから、
誰かの腕の中でつつまれていたい。
でもそれを誰かに求めるんじゃなくて、私がちゃんと、わたしを分かっていてあげたい。
別に、最後の慣らし保育だから、ひとりの時間は今日で最後だからとか思わずに。
今日という日を有意義になんて過ごせなくていい。
私は今日も わたしだから。
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