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2021/1/4 晴れ

朝6時。赤ん坊が泣く。とても寒い朝。リビングも冷え切っている。足元が冷たい。ドライヤーで暖を取る。ヒートテックを着込むけれど全然寒い。僕も風邪をひいたかな。シャワーを浴びようかと迷ったけれど時間が微妙だったからそのまま家を出ることにする。仕事の合間でも読めそうな本を秒単位で探す。東浩紀『ゲンロン戦記』をカバンに詰め込み、寝室の二人にいってきますをする。外は当然ながら、寒い寒い寒い。電車の窓は換気のために開け放たれていて全く温まらない。明日から仕事始めの人が多いのか、車内も人がまばらで壁にならず風が直接吹きつけてくる。

娘のソウルエデュケーションのために、早起きした朝はビートルズのアルバムを年代順に1枚ずつ聞かせながら遊ぶ決まりにしていた。すると何十回目かのビートルズブームがわたしに到来する。サージェントペパーズを再生する。何度聞いてもアルバム中盤の楽曲が弱く感じてしまう。冒頭3曲とラスト2曲だけでいいんじゃないか、と歴史的名盤にケチをつけるが、それはこのアルバムが陳腐化するぐらい擦られた証拠なのだろう。1967年に聞かなきゃ分からないことがある。モノラル版よりステレオ版方が好きだ。「A day In The Life」のジョンのボーカルが左右に振り分けられてまるで幽霊みたいで。ジョンレノンのデモ音源をコンパイルしたThe Lost Lennon Tapesという一連のシリーズがあり、ブートレグなのに何故かアナログ版までリリースされている。ジャケットがお洒落で部屋に飾りたくなるのでおすすめです。内容はマニア向け。

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駅から月曜日の職場までは15分程度歩く。駅から目抜き通りがまっすぐ伸びていて気持ちがいい。春にはママレイド・ラグなんかを聞きながら歩く。でも今は冬で、なんだかやけに寒くて、最近は意識的に避けてきたエモーショナルな表現に触れたくなる。聞いたら絶対に泣いてしまう音楽って勿論財産なのだけど、年々しんどくなってくる。去年素晴らしいアルバムを発表したMoment Joon「Teno Hira」もそういった理由であまり頻回に聞けずにいる。でも今日は泣きたいのだ。ハートに火をつけてほしいのだ。後半のECDについてラップする箇所で目頭が熱くなり、鼻の奥がツーンとする。在日韓国人である彼が日本のラップを最も純粋に血肉化して継承した。驚くべきことではない。ポップウイルス。壁をこえてゆく。出自をこえてゆく。まるで感染症のように。「見せて、手のひら」というフックに、娘が生まれてくる前に読んだ山本美希『かしこくて勇気ある子ども』を重ね合わせる。自分の考えをしっかりと言うには、手をあげる必要がある。握り拳ではなく、手のひらをひらいて、高くあげて。

年始の仕事は例年はもれなくクソ忙しく、今年も覚悟していたが、思いの外暇な時間が多く拍子抜けだった。4月からはこの職場からは離れることになり、引き継ぎの資料を作らなきゃいけない事を思うとそれだけで肩が凝る。ここは残業代がきちんと出ることが唯一の美徳なので、帰宅せずに午後はしっかりと残業する。19時前に職場を出て、近くの公園で一服する。昼間は子供連れで賑わう公園も、この時間になると真っ暗で気兼ねなく喫煙できる。遠くの方で中学生と思しき二人組がランニングしている姿が見える。走り込む若者と、ヤニを吸う中年。勝ち負けでいうと負けの方ではないか。まあ、今更負けてもいいのだ。彼女らが近づいてくる前にさっさと吸い終えてしまおう。あ、この公園は禁煙ではないですよ、念のため。

帰りの電車も空いているし、すなわち寒い。昨日iPhoneに取り込んだマライア『アウシュヴィッツ・ドリーム』を聞きながら眠りにつく。東京に再び緊急事態宣言が発令されるそうだ。緊急事態宣言ってそんな風に”○日に発令します”と事前に予告されるものなのだろうか。Twitterで所謂反自粛派(”コロナ脳”とか”コロナは茶番”とか”2類から5類に”とか)だけをフォローしているアカウントがあって、そこでは経済苦や、自粛派に対する攻撃や、医療従事者や医師会に対する呪詛に近いつぶやきに溢れていて、これはこれで切実な声だと思う。我が家には乳飲み子もいるし、医療従事者としてCOVID-19の悪夢のような急性増悪を何例か目にしてきたので、この度の感染症対策には私権の制限も止むを得ないと思う。その立場は変わらない、が、行き当たりばったりな現政権の緊急事態宣言には非常に抵抗があるし、オリンピックを諦めていない頭の悪さにも腹が立つ。トイレットペーパーまた売り切れるのかな、帰りに買っておかなきゃと思って結局忘れる。最寄りのスーパーで豚バラ肉と鶏肉を買って帰宅する。

家が暖かい。床暖房がついている。そういえば去年は暖房をほぼつけずに床暖だけで問題なく乗り切った。冷えは足元からくるんだねと軽い感動を覚える。家族で風呂に入って、食事を作る。妻のチキンライスと、僕のなんちゃってすた丼。チキンライスはケチャップ多めにバターでコクを出す。鶏肉にナツメグで香りをつけると美味しいらしいから今度試してみよう。すた丼はおろしニンニクチューブを大量に投入、九条ネギもたっぷり使用。水分を多めに使って、フライパンに蓋をする。ゲッツ板谷も「豚バラは焼くものじゃなくて煮るものだ」みたいなことを書いていた。娘におやすみと伝え、夫婦二人になる。いただきます。ごちそうさま。ガキ使のアーカイブをぼんやり見てチルしているとテレビの画面が切り替わる。妻が予約していた100分de名著。岸雅彦による『ディスタンクシオン』に続き、斎藤幸平による『資本論』。マルクスもいっちょ噛みでたくさん関連書をつまみ読んだけれど、原著にはトライしたことがない。その前に改めて白井聡『武器としての「資本論」』を再読しようと思う。

おそらく、このようなユーモアの資質こそ、マルクスが形而上学的な双体のどちらにもつくことなく逃走を続けた鍵であり、また現実の厳しい亡命生活を乗り切り得た秘密でもあろう。マルクスはパリに来る少し前に結婚したが、一生の大半を異郷の地で送ったこの夫婦を結びつけていたのは、娘の証言によると、「労働者の問題への献身」だけではなく「いつに変わらぬ無尽蔵のユーモア」だったという。マルクスのテクストのいたるところには、冗談と洒落に爆発するこの一家の笑い声の残響をききとることができる。だからこそ、マルクスのテクストはあんなにも面白いのだ。(浅田彰「ぼくたちのマルクス」より引用)

今日の1曲/Elvis Costello「So Like Candy」

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