夏に閉じ込められていた(雑感2023/09/29)

ふと気がつけば、まるで一生みたいに長い夏が終わろうとしていた。

まるで一生みたいに長い夏。

夏という季節は往々にして長く感じるもの(と僕は個人的にそう思っている)。僕の大好きな記号化されたエモの世界では夏は決まって最もエモい季節とされていてあらゆる創作物においてじっくりこってりと描かれるものだし、僕のこれまでの人生においても夏の時期にはいろいろなことがあった。そういうことはこれまでも何度もnoteに書いてきたし、毎年そういうことを書きたくなるのが夏という季節なのだと、そう思っていた。

でも今年の夏は過去に経験した他の22回のどの夏と比べても似ても似つかないものだった。質的に全く異なる夏で、体感的には異常に長い夏だった。一生出口が見えないような、そんな季節を僕は過ごしていた。

エンドレス・サマー。
僕は夏に閉じ込められていた。

これまでにも何度か書いてきたことだけれど、僕は今年、会社員になった。
そして色々な事情があってあまり詳しく書くことができないのだけれど、6月から報道記者・報道ディレクターとして働いている(と言ってもまだまだ駆け出しだけれど)。

大学生の頃にジャーナリストの真似事をしていたとはいえ、記者・ディレクターとしてマスメディアの中で働くというのは初めての経験だし、まして僕はずっと文章と写真の表現を主として生きてきたものだから、映像メディアの「文法」みたいなものが全く身についていない。しかも僕の職位はカメラマンではなくディレクターときた。「テレビの報道ディレクター」と聞いてどんな仕事をしているのかパッとわかるという人は世の中にほとんどいないだろう。僕もそうだった。
だから6月から今日までの間、とにかく必死で日々の仕事に食らいついていくしかなかった。やることなすことすべてが初めてで、知らないことわからないことだらけで、(あまり好きな表現ではないけれど)いわゆる異世界転生をしたような、そんな毎日だった。

休みが無かったというわけではないのだけれど、7月の真ん中過ぎから9月の頭まで、落ち着いて休める日というのがほとんどなかった。翌朝早くから取材が入っていたり、土日のどちらかが取材でつぶれたり、あるいは両方に取材が入ったり。これでも働き方改革のおかげで休めている方だとは思うが、8月は2日しか休みがなかった。

別に僕はここでブラックな働き方をさせられていることについて文句を言いたいわけじゃない。確かに休みは少なかったし、毎日忙しかったけれど、いま振り返れば極めて充実した毎日を過ごすことができていたという確かな実感がある。新しいことに触れ、新しいことを知り、新しいことを覚え、身に付けてきた。その中でぼこぼこに叱られることもあったし、重大なミスをしでかしてしまったこともある。けど、そういったことも含めて経験することができて良かったと、素直にそう思う。

ただ。
ただやっぱり、しんどかった。

終わりが見えない夏というのはこんなにも苦しいものなのかと。思い知らされた。

いままで過ごしてきた夏にはどれも、出口があった。

学生には夏休みというものがあり、夏休みが明けたら新しい学期が始まる。吹奏楽をやっていた頃はコンクールシーズンの終わりが夏の終わりを意味していたし、人生の夏休みと言われる大学生の頃だって僕は真面目に授業に出席していたから秋学期が始まるということは授業の無い夏休みに許されていた怠惰な生活習慣を改めねばならないということだった。そうやって、カレンダーの上に明確な「夏の終わり」が示されていたのが、これまで過ごしてきた夏だった。

でも今年は違った。
報道配属になった6月に始まった夏がどこで終わるのかわからなかった。
ずっと、じっくりこってりとした特濃エモ増し増しの夏だった。
毎日毎日経験したことのない取材やVTR編集があり、次から次へと未知のイベントが発生する。この継ぎ足し継ぎ足しの先に何が待っているのか全くわからないし、そんなことをちゃんと考えるゆとりもないままに日々が進んでいく。そういう夏だった。

労働基準法の残業規制をクリアするために代休を取らざるを得ない状況になり、僕はいま遅れてやってきた3日間の夏休みを過ごしている。
およそ4か月にわたって息継ぎ無しでずっと走り続けてきた間にずっと考えないようにしていたことや考えられなかったこと、未整理未消化だったことが頭の中で渋滞していて、休むに休めない。とにかく頭のなかをすっきりさせたくて大学の卒業制作を仕上げた松坂屋高槻店のスターバックスに来てコールドブリューをがぶ飲みしながらキーボードをばちばちと叩いている。

脳内クリーニングが終わったらようやく、僕を閉じ込めていた今年の夏が終わる、はずだと、そう信じてもう少しの間、自分の中から出てくる言葉と向き合う時間を過ごしたいと思う。


ちなみに今年の夏はほとんど写真を撮らなかった。
いままで毎年ものすごい枚数の写真を撮ってきたのに。僕にとってはもうカメラとか写真とかそういったものが必要なくなってきているのかもしれない。

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