#7 櫻井翔の誕生日に綴る2021年1月の話

2020年12月31日。

私の大好きな5人がでっかい愛とか希望に包まれ、光の中に溶けていった。

あれから25日。メンバーの櫻井翔が39歳の誕生日を迎えた今日、ファンクラブサイトに配信されたバースデーメッセージ動画を見て、ああやっぱりそうか、グループ活動休止ってこういうことか、と実感せずにはいられなかった。全体ではなく個人それぞれが櫻井に向けたメッセージを撮影。そしてそこに大野智の姿はない。当たり前だ。だって休止だもん。当たり前だけど。当たり前なのだけど。

年明けからの私自身を振り返ってみると、それはそれはずいぶんと廃人のように生きていた。夜なかなか寝付けなくなり、それに伴って朝起きられなくなった。食事が適当になった。ストレスに弱くなった。タスクへのモチベーションが著しく下がった。部屋がすぐ散らかるようになった。ふとした瞬間に泣くようになった。

大好きな嵐が日常からなくなってしまったら辛いだろうとは思っていたけれど、正直ここまで身体にも生活にも影響が出るとは。想像以上に私は推しに依存していた。そのことはわかっていたつもりだったし、2021年になって廃人になりたくなかったから、今年やりたいことリストなるものも作った。少しでも日常に希望を持てるように、たくさん対策を練ってきた。でもいざその状況に立たされると、どうも上手いこといかない。身体が言うことを聞かないし、心はいつまでも2020年に留まろうと抵抗しているみたいだ。最も困るのは、日によってメンタルのコンディションが違うこと。前向きに「推しが休んでたって生きるんだ!休止と書いてパワーアップって相葉ちゃんも言ってたもんね!」と張り切る日もあれば、眠れない夜に嵐の曲を聴いて一人で号泣し、「もう嫌だ…生きるのしんどい…」ってなる日もある。自分でもわかっているが、これはだいぶ危険だ。そんな夜に魔が差して一歩道を間違えたら、たぶん私は簡単に死ぬ。

そしてこんな感情を抱えて25日ほど過ごしてみた結果、わかってきたことがある。私はこの苦しみを誰かに相談したい、聞いてもらいたいと思っているけれど、なかなか気軽に話せる人がいないのだ。私は至って真剣だし、推しがいないだけでものすごく寂しくてしんどい。でもそれを周囲の人に雑談程度のテンションで話して「えっ、そんなことでそんなに落ち込んでるの?」「まだ1か月もたってないじゃん、まだまだ帰ってこないよ」とか言われたら、私は絶対に立ち直れない。そしてたぶんその人と話すのが嫌になると思う。自分の大切なものを「そんなに?」と言われるのが、どうしようもなく怖いのだ。なんでも相談できる地元の友達は今遠くに住んでいる。LINEでも通話でも相談する手段はあるけれど、試験を控えた学期末の時期にわざわざ時間を取らせるのもなんだか気が引ける。そんなにメンタル弱いほうじゃなかったのにな。なんでこんなにも落ち込んでいるのだろう。

そして思う。今の私が恐れているみたいな言葉を、私は今まで周囲の人に対して発してしまっていなかっただろうか。その人が命をかけている大切なものを、簡単に否定してしまっていなかっただろうか。鼻で笑ったり軽く受け流したりしてしまっていなかっただろうか。その人がこわれないように大切にしてきたものに、あっさりと傷をつけてしまったことはないだろうか。そんな考えがどんどん膨らんで、ものすごく怖くなってくるのだ。

ああ、嫌だなぁ。推しといったんお別れした悲しみがこんな思考にまで派生するなんて。というわけで、今年の私のやりたいことリストに「他人の推しを尊重する」が追加されました。どんなときもどんな人にも寛容でありたいと思う今日この頃。

改めて翔くんおめでとう。今年も共に歩いていく所存であります。夜ごはんはオムライスにしようかな。貝もいいな。

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