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GiveしてるつもりのGive&Takeはタチが悪い

こんにちは。Kiwi PR合同会社の植田聡子です。
今春からnoteとTwitter、真面目に取り組んでいます。

SNSへの気持ちの持ちかた

単純に「内容が共感できる方」「もし一緒に仕事することになったらいい関係になれそうな方」と繋がりたいと思っています。フォロワー数ありき、で一人ひとりを「数」としか見ていない方は苦手です。

おかげさまで、日常ではお会いできない別の業界の方々や、自分が興味ある業界の方ともSNSを通じて繋がることができ、改めてソーシャルネットワークの良さを実感しています。

Facebookが知人・友人メインのクローズドなネットワークに落ち着いており、「ソーシャル」なつながりが期待しにくいプラットフォームになってきています。コミュニティ運営やターゲットを絞った広告などは今も十分活用できるとは思いますが・・・

収益化目的のSNS運用

ブログやYouTubeの収益化については、色々なご意見があると思います。私は収益構造が好みではないというのが理由で、躊躇しています。

私個人はブログを読んでいるとき、広告が出てくることに、ネガティブな感情を持っているからです。YouTubeも広告が嫌でプレミアム契約、noteが好きな理由も広告がなく、スッキリしているからです。

この場合の広告の存在は「ジャマなもの」「早く本文を読みたいのにそれを遮るもの」という印象を読み手に与えています。

その広告を見てもらうことで収益を図るブログやYouTubeって、自分自身どうしても気持ちが動きません。

「ブログやYouTubeを更新しているけど、全然収益にならないし、凹む」
「Twitter更新しているけど、フォロワーもいいねも増えないし、続けられない」

そういうツイートや投稿を見受けると、(特段ご本人からアドバイスを求められていないので申し上げませんが)「だからだよね」と思います。

Give & Takeを履き違えた運用には限界がある

✔️「ブログやYouTube、Twitterを更新」が、Give & Takeの「Give」だと思っているのではないですか?
✔️だとしたら、そのGiveは本当に相手が「欲しいと思っている」ものですか?
✔️あなたがGiveしたいことを垂れ流して、それでTakeを得ようと思っていませんか?

フォロワーをただ「数」として捉え、フォロワー数の増減に一喜一憂する前に、まず自身のコンテンツが「誰に向けて、どんな価値を提供できるのか」にもっと着目すべきです。

朝の「おはツイ」が効果がある、とか、フォローやリプをただテクニックとして行う小手先だけでは、そこに継続の意義は見出しにくいのではないでしょうか。

アウトプットを量産していくには本人のインプットの充実があってこそです。視野が狭く薄っぺらい内容の、感情がこもっていないどこかのコピペのような投稿で「本人らしさ」はブランディングされません。

コンテンツに必要なライティングスキル

noteも「あれ?最近あの人の投稿お見かけしないな」と思うと、更新が止まっていたりすることもあります。また、「ネタが思い浮かばない」「書こうとしても書けない」とスランプらしき投稿もお見受けします。

一方、私が勝手にリスペクトしている方々は、まるで「呼吸するように自然に」ツイートしたり、日頃からの思考を言語化する習慣が定着しているので、良質なアウトプットを量産しています。

もし収益を望むなら、まずこの域に達するまで量産の積み重ねによってライティングスキルを高めるしかないのかなと思います。

SNSを継続する一番のメリット

これは以前にも申し上げたことですが、ブログや動画は蓄積されていく資産です。その人がどのような思考を持ち、どのように発信をし、どのようなネットワークを作っているかがすぐにわかります。

私もnoteやTwitter経由でメッセージをいただき、それがお仕事となったケースもあります。コーポレートサイトだけでは差別化できない部分をSNSが補完してくれます。しかもずいぶん前の投稿を読んで、共感してくださっていたり、自分の想定を上回る営業ツールになっていると思います。

誰が見たかわからない広告収入よりも「顔が見える」関係が私にとっては心地よいつながりです。

一方で、ビジネスユーズではないプライベートのSNS活用は、「人を傷つけない」ものであるなら、自由で構わないと思います。普段、そんなに会う関係ではないけれど、大好きなSNSのお友達というのはいます。楽しそうな、示唆に富んだ、人柄があふれる元気な投稿など、大好きです。

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