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好きじゃないけど有能すぎる男との依存同棲生活がやめられない【遊戯王マスターデュエル】

デスフェニ依存症

その実態と患者の手記がここに

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《D-HEROデストロイフェニックスガイ》融合・効果モンスター星8/闇属性/戦士族/攻2500/守2100レベル6以上の「HERO」モンスター+「D-HERO」モンスター             このカード名の(2)(3)の効果はそれぞれ1ターンに1度しか使用できない。(1):相手フィールドのモンスターの攻撃力は、自分の墓地の「HERO」カードの数×200ダウンする。(2):自分・相手ターンに発動できる。自分フィールドのカード1枚とフィールドのカード1枚を選んで破壊する。(3):このカードが戦闘・効果で破壊された場合に発動できる。次のターンのスタンバイフェイズに、自分の墓地から「D-HERO」モンスター1体を選んで特殊召喚する。

この記事はデスフェニへ苦言を示したり恨みつらみを書きなぐる記事ではない。むしろ彼のハイパー絶倫アド取り力に完堕ちしている者の愛憎混ざりあった複雑な乙女心の言語化である。
奴もマスターデュエルに来て約3ヶ月、いい加減いよいよそろそろ何かしらの形で年貢の納め時だろうということでこの依存関係の実態を記しておこうというところである。

今現在遊戯王マスターデュエルをやっているものでこの男を知らない人はいないであろう。驚異的なまでのデッキへの入れやすさと爆裂的なアド取りマシーンでありカードパワーの塊でありファンデッキ程度であればこいつ1枚から容易に詰ますことのできるカードだ。マスターデュエルをやっているなら説明すら不要であろう。
ヴェルテ・アナコンダ、DーHEROダッシュガイ・ディバインガイ、フュージョンデステニー、そして問題のデスフェニを入れるだけで彼は容易に多くのテーマデッキの同居人となる。融合元を入れなければならないのはデメリットに見えるが憎らしいことに奴等は事故要因であるものの墓地にさえ送ってしまえば2ドローにドロー特殊召喚にと化ける。デスフェニ本人だけでなく連れ子も優秀なのだ。自分のテーマと関係ない子持ちの男を許すに値するだけの有能さを兼ね備えている。

マイナーテーマを容易に詰ませ、同時に彼等を容易に救済する強大すぎる力

私自身デスフェニに対し悪く思うところがないわけではない。突然のトップフューデスで出されて深い溜息をついたことは数知れないし後攻1ターン目で処理できず延々とアド差をつけられ続ける未来を憂いサレンダーしたことも少なくない。
ならばなぜデスフェニに対して憎悪や恨みつらみを吐き出さないのか? 非常にシンプルな答えだ、憎しみ以上にデスフェニに手持ちのデッキが救済されているからだ。親の仇が命の恩人であるかのような複雑な心境なのだ。
私が愛して止まないデッキテーマは主に3つ、魔弾・閃刀姫・オルターガイスト。当然これら全てにデスフェニギミックを搭載している。なぜならば相性が良いからだ。相性が良く、デスフェニがいるだけでデッキパワーが2段階くらい上昇するのだ。入れない理由が存在しない。特に閃刀姫が受ける恩恵は群を抜いている。デスフェニギミックがなくても強いデッキにそれらが相性良好ともなればそのシナジー効果は凄まじいものだ。

デスフェニとは生活基盤であり上振れであり、なによりもサブプランである。結局のところ、最終的にはサブプランに過ぎない。そこが一番恐ろしいのだ。
いともたやすく相手を詰ませ、あるいはこちらも同じように鮮やかに詰ませられるこのカードはメインギミックではない。あくまでメインギミックの支えとなるサブプランに過ぎないのだ。サブプランに処理札の使用、あるいはデッキ構築におけるメタカードの採用を強要させられるという震えるような事実だけでアド差が生まれ飯が食えるわけだ。
特に前述した私の愛するデッキ群は非常に動き出しが重く、序盤適当に出しておいたデスフェニが2、3ターンして処理されるころにメインギミックのエンジンが温まっているという状況が多い。それが一番ありがたいのだ。序盤の弱さをカバーできるだけでなく、それだけで勝つことすらありうるというカードパワーの暴力を心から愛している。
つまるところデスフェニがいるから気持ちよくメインギミックで戦えているという事実がある。それが何を意味するかというとデスフェニがいなくなったらこれらの気持ちよさを生み出す安定感が激減してしまうということである。私がデスフェニに強く当たることができない要因がここにある。使う側として得られる恩恵が大きすぎて相手する際の憎しみを凌駕している、それに尽きるわけだ。
しばしばランクマッチで当たる環境外のデッキをデスフェニ1枚でべこべこにして勝つことがある、それは本来ならば同格であるはずの試合なのだがとりあえずでデッキに入れておいたメインギミックとなんの関係もないデスフェニが1人で相手を蹂躙してパリンパリンなる様は筆舌に尽くしがたい光景だ。同格だけど同格ではない。その差はデスフェニ1セットだけである。ここにこそデスフェニという男の本質がある。
こいつは入れるだけでデッキのレベルを1つ押し上げる。入っていないデッキはそれだけでそれらと比べて勝手にレベルが落ちるとすら言える。つまるところ暴論ではあるが、デスフェニに対しての結論は入れない方が悪い、私はそうであると思っている。入れない理由のないカードを入れない理由を探すことほど愚かなことがあるであろうか。これが最も悪辣にして醜悪極まりないところである。なぜ構築が肝となるカードゲームにおいてかような思考がまかり通って良いものだろうか。
本来であればカードゲームにおいてこれほどのゲームメイク力を持つカードがこのように汎用的であってよいはずがない。紙の裁定を考えるに許されない未来がくるのもさほど遠い未来ではないであろう。だが我々は今許されているこの激動の時代を生きているし実装より今日まで過ごしてきた。これらの思い出をあいつはマジでやばかった程度のものにしておくのが惜しくて今こうしてデスフェニとの思い出になりうる感情を書き殴ってきたわけだ。

秩序の為に規制されてほしい想いと自分の為に規制されないでほしいジレンマ

以上がデスフェニが実装されてから数ヶ月ランクマッチなり友人とのフリーをやったりして生まれたデスフェニへの依存心の全てだ。冒頭でも綴ったがそろそろ奴も年貢の納め時ということでこの感情が思い出に変わってしまう寸前に書き殴ったわけだがやはり考えれば考えるほどこいつが許されていて良いはずがない。良いはずがないという良識的な気持ちを持ちながらにしてあまりに自分のデッキのデスフェニへの依存度が高すぎるが故にあいつを許してやってはくれないかという堕落的な気持ちを捨てきることはできない。
まるで犯罪者でも匿っているかのような心持ちである。悪いやつだとわかっているのだが自分に益がありすぎて正義を執行することができない。事実私はせめて友人戦においてくらいはデスフェニを抜きたいと考えているし友人たちも概ねデスフェニを使っていないというのに私だけ依存から抜け出せない。壊獣なり墓穴なりでデスフェニが処理されることに安堵すら感じる。

どれだけ破壊されてもデスフェニは次のスタンバイに帰ってくる。同じように何度デスフェニセットをデッキから抜こうと考えても必ずデッキ内に帰ってくる。朝行ってきますと家を出た男が夜になると帰ってくるのだ。おかえりなさいもう墓地に魔法カード3枚以上溜まったから寝ていいよと言ってもあいつは健気に処理されるまで破壊と再生を繰り返しアドを取り続ける。
好きでもないのに有能すぎて離れることができないのだ。KONMAIから制限改定というガサ入れが我が家に入り続けるその日までデスフェニとの依存生活を捨てられる気はまるでしない。そんな甘美で背徳的なまでの力への依存だけが、この運命のHEROとの思い出に変わるのだろう。

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