![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144958684/rectangle_large_type_2_b38320d9aaef0578c208806b591f35a2.jpeg?width=800)
南ことりちゃんにされて許せないことなどない。ゲロチューだって飲める...飲めるか?
愛も恋も独占して
僕を独占して
このまま中毒になるまでチューしよ
南ことりちゃんにされて許せないことなんてあるか?
ない。世界の総意であり私の答えでもある。
今まで私は数々の愛を彼女から受けてきた。旅行の当日に枕を忘れたからと引き返されたり鍋にチーズケーキを入れられたりとしてきた。だがそれら全て些事に過ぎない。
なぜならば南ことりちゃんはかわいいから。かわいいだけで全てを許すに値する。
なれば今更ゲロチューの一発や二発が何だという話だ。
というわけでこないだことりちゃんとカラオケに行った際に【ちゅ、多様性。】を歌ってくれて数多の存在しない記憶が脳内へ流れ込み今ここにいる。
俺はことりちゃんとのカラオケでこれを聴いた。誰がなんと言おうとことりちゃんの歌を聴いたんだ。
なるほどまさかこうくるとはな、と。確かにことりちゃんは酒癖が悪そうだ。姫パイほどではなさそうだが。
printemps特有のハイパワー独占欲嫉妬略奪愛溢れる楽曲の数々もゲロチューの歌詞って意外とことりちゃんに合うな感を後押ししてくれている。
やはり【小夜啼鳥恋詩】のような愛の想い歌詞を一身に背負っている様を見るとべろべろに酔っていてゲロゲロ一歩前なのにチューしたがる様というのは遠くない未来の話にしか見えない。
ゲロチューはチェンソーマン本編のあの状況だったからギャグであり地獄だった。
だが我が身に降り注ぐ事象として考えたらどうだ。
明らかに吐く寸前くらいのことりちゃんからチューをせがまれて断れるか?
少なくともチューまでは断ることができない。酒の入ったことりちゃんが甘えたがりキス魔になっている未来があるなら甘んじて受け入れよう。未来最高。
かわいければゲロも飲めるのか?
じゃあというわけ。これよ。やれんのかい。
許すという行為の持つ業の全てがここに詰め込まれている。
別に自分のゲロならば良い。いくらでも飲める。うまい飯は何度でも味わわないと損だからな、反芻反芻。
飲むか飲まないかという決意の話だと俺には飲むという選択肢以外ない。飲めるか飲めないかという可能か不可能かの話だけだ、つまずくのは。
かつて話をした「かわいいだけで全てを許せる」という境地の一つの到達点であると感じさせてくれた。
そもそもが食べ物でもなければ飲み物でもないのだからという理論は実にナンセンスだ。俺は心意気、魂の話をしているのだから。
かわいければ、好きならばゲロでも食べられるのか。俺はどこまで行けるのだろうかと問われている。どこへ行くか、ではない。どこまで行けるか、だ。
俺は酒や食い物を頭からぶっかけられようがつばを吐きかけられようがたいていの事は笑って見過ごしてやる。だがな…ゲロが食えるかどうかは流石に話が変わってこないか。
しかしことりちゃんとしてはどう反応されるのが良しとするのか。果たして俺がことりちゃんに出されたゲロをごくんごくんしたとしてどんな顔をするのだろうか。疑問は尽きないけどね。Get up'n Go。
即ち、俺は甘く見ていた。「かわいければなんでも許せる」というベクトルの認識が甘かった。
好きな人にゲロチューをされるかもしれないという可能性は脳になかった。そんな世界は知らなかった。知らぬさ、所詮人は己の知ることしか知らぬ。
まあ食えるかどうかは一旦置いておくとしよう。
チューしながらゲロ出されて許せるか? いくら南ことりちゃんのゲロとはいえ。
次なる懸念とはこれだ。最悪手が出てしまうのだろうか。気軽に復讐をと言うが果たして復讐しようという気持ちになるものだろうかと。
全くもって分からない、好きな人からチュー越しにゲロを飲まされたことがないから体験を基にはできない。
ただ一つ確かなこと、俺はまだまだ強くなれるということ。
許すことのできる者は強い。だが許せないことのない者の許しに一体どれほどの価値があろうか。
光があるから闇がある。許せないものがあるからこそ許すという行為にそいつの全てが宿る。
だからこそ「かわいいだけ」でなんでも許せるという信念が常軌を逸した思考であることが伺える。本当にかわいいだけなのか。それでいいのか。
俺は弱い。いつだって「免罪符」を求めようとしている。この生物はここがこんなにも素晴らしい、こんなにも愛おしい。好きの言語化とは自分を救うための行為にも等しい。
だからこそ、最終的には直面しなければならない。やっぱりことりちゃんとは始まりから終わりまで根幹は「かわいい」なのだということを。
ああ、かくも世界はかわいいとは奥深い。
これだから人間とは面白い。そしてカバー曲という文明は美しい。
私は声帯が同じものを都合良く同じ声をしている生物に変換、あるいは置換して捉えることができる。故にかように本編では得られることのない可能性と向き合うことができた。
みんなは知らない、ゲロチューの味。
吐瀉物を処理した吐瀉物を丸飲みする様な。
それを飲めることは愛なのか、それとも許しなのか。一体何が俺の原動力足りうるのか。
いつだってことりちゃんはかわいい。そこまで行くのはもうかわいいだけではないのかも知れない。
しかし持ち合わせてはいないな。「かわいい」以上の免罪符を。だってことりちゃんはスペシャルで爆裂にハイパーかわいいのだから。それがある限り、なんだって許せるのであろう。
結局、だったらたかがゲロ程度ってもんに落ち着くのかもね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?