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自分にはできない応援

高校の卒業式が始まる5分前。
整列して卒業生入場の瞬間を待つ、そわそわした体育館前。
卒業生代表の答辞を任されていた私は、緊張で手足が震えていた。

答辞や表彰などで登壇する生徒は最前列に並ぶ。
私のクラスには成績優秀で表彰される友人がいたため、私は前から2番目。
私の前に並んでいたのは、卒業間際になって急激に仲良くなった友人だった。

緊張している様子の私を見た彼女は、「緊張してるでしょ?背中、叩いてあげよっか?」と言ってくれた。
「うん、お願い!」と背中を向け、思いっきり叩いてもらった。
彼女は根っからの体育会系。
それ故に遠慮なく全力で叩いてくれたことが嬉しく、気合も入った。

さて、直前の私たちの会話を聞いておらず、私が背中を叩かれる瞬間だけを目にしたクラスメイトの反応は言わずもがな。
成績学年トップの優等生が、答辞を読む元生徒会長を叩いている。
驚くのも当然である。
私は笑いながら、「いや、いじめられてるわけじゃないよ!お願いしたの!私が緊張してたから!」と説明した。
いつの間にか私の緊張は解けていた。
もし、ここまでが彼女の計算の内だったのだとしたら、流石の一言である。

緊張している私に、「翠雨なら大丈夫!」「落ち着いて頑張ってね」などと励ましてくれる先生や友人はたくさんいた。
けれど、あの応援は、式の5分前に近くにいて、私との信頼関係があって、応援するために背中を叩くという行動が思い浮かぶ人で、それを申し出ても不自然にならない同性であるという条件を満たした彼女にしかできないことだなあと、あとになって気付いた。

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先日、サークルの後輩がイベントの司会をすると言うので、その練習に立ち会った。
私に与えられた役割は、司会の指導とカンペでの指示出しである。
スケジュールの都合で、本番1週間前のリハーサルが彼にとっては初めての練習。そのうえ、イベントの司会やアナウンスの類は未経験なのだそうだ。

彼の緊張は痛いほどに伝わってきた。
普段は話し上手で盛り上げ上手なムードメーカーでありながら、珍しく何度も言葉が詰まる。姿勢も安定せず、常時そわそわしている様子が窺えた。

1回目のリハーサル終了後、良かったところや改善点などを話し合った。
そのうえで、私にできることは「落ち着いて楽しんでやればできる!」という激励の言葉をかけることだった。

本当ならば、「大丈夫!リラックス!」などと言って肩を叩きたいし、自分ならそうしてもらえたら元気出るな、と思ったけれど、それを私が異性の後輩にするのは抵抗がある。

そう思っていた矢先、イベント運営の手伝いに来てくださっていた男性の先輩が「あんま緊張すんなよ!」と彼の肩を叩いて励ましてくれた。
緊張と疲労感、1回目のリハーサルで思うようにいかなかった悔しさでずっと下を向いていた彼も、「ありがとうございます!」と、初めて顔を上げて笑顔を見せた。

2回目のリハーサルで、彼の司会は見違えるように良くなった。
言葉が詰まることも少なくなり、彼らしいユーモアのある言葉選びをする余裕もでき、姿勢を意識するようになって見栄えも良くなった。
そして何よりイベントの流れにメリハリがついたことで、過度に慌てず、落ち着いて進行することができていた。
「さっき1回練習して、改善点話しただけでこんなに変わるって本当にすごいよ」と周りにいた皆が称えた。
その場にいなかった人が、「めちゃくちゃ良くなった!」「最高!」とわざわざ褒めに来るくらいには彼の成長は著しいと、私も思った。

ただ、1回の練習でここまで改善できるなら1週間後の本番はもっと良くなると確信した私は、褒めに来てくれた人たちがいなくなったあと、「1回目のリハーサルであれだけたくさん指摘しておいて、また更に言うのは鬼だと思うかもしれないけど」と前置きしたうえで、新たな改善点を伝えた。

彼は、「ありがとうございます!」と素直に私の意見をメモしてくれた。
「こんなに色々言うなんて、本当に鬼だよね。ごめんね。でも、君ならできると思うから!」
改めてそう伝えると、彼は「いやいや、嬉しいです。褒めてもらってばかりで不安だったので、そう言っていただけると来週までに練習のしがいがあります!」と言ってくれた。
その言葉に、私も嬉しくなった。

私はできない応援もあるけれど、私にしかできない応援もある。
きちんと言葉にして伝えれば確実に彼を鼓舞することはできるんだ、と気付かされた。
そして、ここまで素敵な司会ができるようになってもなお向上心を忘れない彼の言葉に、司会の指導を任された私も誇らしくなった。

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人には、できることとできないことがある。
それは時として、努力では超えられない壁かもしれない。
けれど、できないことにばかりに目を向けるのではなく、自分にできることを自信を持ってやり遂げたい。
できないことをできるようにするだけではなく、できることに気付いて、それを磨くこともまた、鍛錬である。

ふと、そんなことを考えた。

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