考えるとはどういうことか?

「自分は考えることができているのか」

ふとそんなことを考える時がある。というのも、今の自分はどうも他の人の発言を焼き直して人に伝えているようにしか感じられなくて、自分の意見を言っている感じがまるでないのが心配を増幅させている。

日々見ている本や記事の中で見つけたことを自分の中に取り込んで、それをタイミングを合わせてどこかの違うタイミングで披露する。あたかも、自分が全てを考えたかのように。

もしかしたら、そこには幾らかの付加価値がついているのかもしれないが、僕の個人的な感覚からしてみれば、自分の意見は全て「他の人の意見のブレンド」でしかなく、自分に落とし込んだというよりは自分が切り貼りしたという感覚に近い。

情報が溢れると全ての情報を追うことができないため、自分がセレクトした情報を集めて切り貼りしただけでも誰も知らないようなそれっぽいことが言えてしまう現代の状況は、果たしてしょうがないことなのだろうか。

サラダしか作れない現代人

僕が典型的なのだが、現代人の「考える」は、買ってきた野菜を切って、上に自家製ドレッシングをかけただけという表現が最近すごくしっくりきている。

素材の本来の味を生かしたと言ったら聞こえはいいのだが、ほとんどの場合は溢れんばかりの情報を右から左に動かしているだけで、最後に自分のテイストを象徴するような自家製ドレッシングによってオリジナリティを担保している側面がある。

しかも、その買ってきた野菜というのはスーパーで買ってくるような普通の野菜なため、そこに文脈も残っていなければ、出どころも怪しいような当たり障りのないものが多い。

多くの人は自家製ドレッシングでいかに差をつけるかに日々奔走しているので、サラダを作ることから抜け出せないまま、ひたすら毎日大量に作られるサラダのうちの一つになってしまっている。

一方で、僕が考える「熟考」すなわち「深く考える」ということは、買ってきた物に加熱や発酵のプロセスを加えて、違う料理にしてしまうことだと感じていて、白菜からキムチを作ったり、ピーマンに自分の経験を入れて肉詰めにしてしまったりすることだと思っている。

もちろん、買ってきたものを切って、ドレッシングをかけて出すだけではないので、出てくるまでには時間がかかってしまうが、その分ドレッシングでは到底敵わないようなオリジナリティのあるものが出てくる。

同じ食べ物でも、焼く人もいれば蒸す人もいて、みじん切りにする人もいれば全く切らない人もいる。発酵も菌を変えたり、置いておく時間を変えたり、はたまたあえて生で出すという選択肢をとったりすることもあるだろう。

加工できる人の条件

このように言葉で言うのは簡単なのだが、実際はなかなか難しい。

一日置きに変わるトレンドを追っていたらいつまで経っても加工したものを出すことができない。故に、それをしたいのなら目まぐるしく変化するトレンドにキャッチアップするのを諦めて、違うところで勝負するしかない。

生サラダではないものを作るためには「待てること」が必須の条件であり、焦らないでいい状況でないと、オリジナリティ溢れるものが出てくる確率は低い。

ひたすら試行錯誤を繰り返して、味を調節したりする必要も出てくるので、最初のうちは何度も誤読や論理崩壊が起きるかもしれない。

だが、このスキルほど今重要とされているものはないと言っても過言ではないほど、重要度が高いと最近感じているので取り組む価値は十分あると思っている。

分脈を読み取れないネット民と精読ができない若者が今後今以上に増えていくとなると、加工したものを作れる人の希少性はどんどん上がってくる。

価値が高い人間になるとともに、純粋に自分の言葉によって新たな見え方が生まれる瞬間や、同じような同胞との議論によって価値観の変革が起きる瞬間に立ち会えることは幸せなことであると思うので、一石二鳥であるとも思っている。

最近、三島由紀夫をはじめとした昭和期の文豪や明治以降に活躍した知識人の動画を見たり、本を見たり記事を読んだりしているが、彼らの発する言葉の発酵度合いは今の人と比べて全く次元が違うように感じる。

僕が1時間漬けの白菜の浅漬けを鼻を鳴らしながら友達に話している70年前には、5年間くらい発酵させた本場のキムチを歌うようにポンポンと放っている日本の文豪がいて、その圧倒的な差を認識するたびに情けなさを感じてしまう。

現代においても、勿論「買ってくる物」も重要なのだが、その後の「加工」のプロセスが今は特に重要で、ここが分かれ目だなと最近思っている。

情報との向き合い方を叫ばれてだいぶ経つが、「ひたすら発酵させるために何の情報もいれない」という選択肢も結構アリだと思っていて、それでも十分にやっていけるし、何なら蓋を開けてみたら価値が高い人間になっていましたということがあっても全然おかしな話ではないと思っている。

考えることについて考えることことは大事なのだが、その行為に満足してはいけない。

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1997年の日本生まれ。