サイケアルバム探訪② 裸のラリーズ/Mizutani
言うまでもなく最近話題のラリーズの再発版であり、枕詞のように「伝説のバンド」と称されるラリーズをついに公式のCDで聴くことができるということで発売日に早速買った。
どれくらい凄い事かというと、元々今回再発された3枚のアルバムは、「Live '77」が1000枚限定、今作ともう一つのスタジオ録音盤が500枚限定というかなり限られた生産数での発売だったせいかすぐに売り切れてしまう。
その後は現在も公式盤は滅多に中古にも現れず、売られたとしてもかなり高額なプレミア価格で販売されるという幻の激レア盤だったものが公式からついに手軽に手に入れることができるようになったわけである。
最近ではブートレグ盤も大量に出回っていて、YouTubeでも当時のライブ映像や音源の違法アップを聴けてしまうため、かつてほどの神秘性や希少性は失われてしまってはいるが、正式なものをこうして聴けるようになったことは当時を知らない私ではあるがこれほど嬉しいことはないだろう。
アルバムについて
私がまず最初に買った本作は、ラリーズの長い活動の中でも初期にあたる1970年ごろにスタジオで録音された音源と同年に行われたライブの録音、最後の曲のみ1973年の東京でのライブ録音という構成になっている。
前半に並ぶスタジオ録音の音源はラリーズのイメージとは違いアコースティックな演奏で録音されたものになっており、その後のライブで見られるノイズが響き渡る轟音の演奏の根底となる部分をシンプルなアレンジで聴けるのが特徴である。
後半の二曲のライブ音源では従来のイメージに近いラリーズの演奏を聴くこともできるのでバンドの静と動の側面を一枚で楽しめるアルバムとなっている。
曲ごとの感想
01. 記憶は遠い
ラリーズの代表曲の一つで、その後のライブでも頻繁に演奏されるナンバー。
弾き語りにパーカッションという簡素なアレンジもあって、より歌やメロディに注目がいく。アングラなイメージとは裏腹にメロディはとても優しいのがとても意外に感じた。歌詞の内容は悲し気なこともあり、よりメロディの明るさが際立っているような印象だ。
02. 朝の光 L'aube
唯一、水谷孝ではなく当時のメンバーであった久保田麻琴が作曲した曲。
「記憶は遠い」はまた別方向に、真っ当に明るいイメージのメロディが印象的で、鉄琴の演奏がよりポップな雰囲気にさせている。
03. 断章 I
非常に暗い雰囲気の曲。
曇ったトーンのギターと、寂しく響き渡るトライアングルが特徴的で、シンプルながら雰囲気づくりに大きく貢献している。陰鬱な雰囲気を持つ歌詞も良い。
04. 断章 II
「II」とタイトルにつけられるだけありメロディは前曲に近く、アレンジも似ている。ただこちらの方が演奏時間は短い。歌詞はまだ全て理解できていないので断定できないが「I」の続編的な内容なんだろうか。
歌い出しの「オーロラはたばこの煙」という歌詞がとても印象的に感じた。
05. 亀裂
この曲もアコースティックらしいアレンジだが、これまでの曲とは違って二本ともエレキギターでの演奏となっている。そしてベースの演奏も入っているのでやや厚みのある演奏に聴こえる。
語り掛けているかのような歌い方と、鉄琴のアレンジがとても悲壮感を感じる。最後の「ラララ…」と歌う部分も悲し気だ。
06. The Last One_1970
ここでアルバムは残り二曲となるのだが、本作の約半分はここからの二曲の演奏時間となっているので実質ここからが後半となる。
1970年の京都でのライブで録音された音源で、「The Last One」という曲自体はこの後も度々演奏される定番曲となるのだが、時が経つごとにアレンジやメロディがどんどん変わっていき、タイトルは同じでも内容が変化していったため最後に「1970」と題された表記になっているとのこと。
前半はおとなしい静かな雰囲気で、たどたどしさもあるパーカッションと、単調なサイドギターのストロークを中心に展開される。
前半のリードギターは久保田麻琴の演奏によるもので、インドのシタールのようなエスニックな雰囲気のフレーズがサイケを感じさせる。
バンドでの演奏もあってか、叫ぶようなボーカルのテンションの高さが印象強い。
しかし、演奏時間6分ごろになるとノイズと共に凶暴なファズギターのソロが始まる。その他の楽器を丸ごと飲み込むかのように広がるノイズと、それまでおとなしかった演奏からの豹変ぶりは、とても衝撃度が大きい。
がむしゃらにノイズの中でかき鳴らし、時にうめき声のようにも聞こえるソロはとても感情的にも聞こえる。ファズのソロが続いても一定したフレーズを演奏し続ける他の楽器との対比も面白い。後半からの、ノイズをかき分けるようにして聞こえてくる「僕は死にはしない」とリフレインする歌は非常に力強く聞こえてくる。
長尺であることと、ファズによるソロを聴けるということからヴェルベッツの「Sister Ray」を連想させる曲だ。アルバムのジャケがモノクロなこともあって、両作品には共通の雰囲気を感じさせる。
07. 黒い悲しみのロマンセ Otherwise Fallin' Love With
22分にも渡る大曲が終わり、今作を締めくくるのは前半の曲の雰囲気も汲んだようなマイナー調の曲。
イントロのファズのフレーズとヘヴィな演奏が印象的だが、流れをぶった切るかのように曲調が変わって歌が始まる。深いエコーがかかったボーカルもラリーズの特徴で、これがとても轟音のギターと上手く合わさってどうしてか幻想的に聞こえてくる。
上手く聞き取れないボーカルと巨大なギターの音の組み合わせと聞くとシューゲイザーを連想させるが、この手法を70年代前半の時点で完成させたというのが非常に先駆的だ。
また、イントロだけでなく合間に繰り出されるファズもとても印象的で、前曲とは違って明確なフレーズを演奏するソロになっている。正に悲しみを帯びた泣きのギターといった感じでとても好き。
ちなみにこの曲のみ3年後の1973年に、東京のライブでの演奏を録音した音源とのことだが今作の暗くアシッドな歌ものが並ぶ曲群の中に上手く溶け込んでいるように感じる。
まとめ
今作では前半にアコースティックな演奏の音源が続くこともあって、私が想像していたラリーズのイメージとは良い意味で裏切られたように感じた。
1曲目の「記憶は遠い」などは、既にサブスクで公開されていた「The OZ Tapes」というアルバムでも聴いたことはあったが、今作でのアレンジで聴くと全く違う印象を感じた。(事実、アレンジが全く違うので当たり前ではあるが…)ノイズに埋め尽くされた演奏の根底には、実はかなりメロディアスな歌があることに気づいた。それもシンプルなアレンジによってより鮮明に感じさせられる。
その他の曲もとても演奏はシンプルで、一歩間違えればただ暗いだけで印象の薄い曲にもなってしまう危険もあるが、なんだか深みがあるように聴こえるのは、今作がそれまで入手困難だった作品であるという前情報も加味されているところは少なからずあるだろうが、水谷孝による陰鬱ながらもどこか美しさを感じる作詞と悲壮感漂う歌唱によるところが大きいと感じる。
ラリーズの真髄はライブにあるとは承知しているが、今作は今作でアシッドフォークやサイケフォークとして聴くととても完成度の高い作品だと思う。
そして、後半二曲のライブ演奏については言うまでもなく素晴らしい。この二曲があるおかげで、バンドの静と動をより分かりやすく感じられる。
ラリーズの歌部分に注目して聴くことができる、とても重要なアルバムだと感じた。伝説のバンドの名は伊達じゃない…。
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