見出し画像

忘れることは罪なのか?

「あんた認知症じゃないの??」

最近母からよく言われる言葉だ。還暦過ぎたあなたの方がリスクは高いでしょう!と言いたいところだが、反論はできない。なぜなら私は小さな頃から忘れ物が多かったからだ。

ランドセルや教科書などメインの荷物を忘れることはないのだが、筆入れ、リコーダー、部活のジャージなど付属品をよく忘れた。数え出したらキリがないが、忘れることで、困ることはそれ程なかった。なぜなら、忘れても隣の子が貸してくれたり、無くてもなんとかなるからだ。何が辛かったかと言うと、忘れたことを親や先生から注意されることだ。

「何で忘れたの??」

「忘れないためにどうしたら良いと思う?」

そんなことを言われても忘れるからしょうがない。小さな頃から私の頭の中はぐちゃぐちゃで、興味のあることを考えていると、それに気を取られて他のことは忘れてしまう。

小学2年生のある日。学芸会の練習をしていた時だ。私は劇で村人1のような脇役だったが、どうしてもセリフを覚える事が出来なかった。そもそもなぜ劇などやらなければならないのか、なぜ心に思ってもいない発言をしなければならないのか、それに何の意味があるのか。そうした生意気な態度が前面に出ていたのだろう。担任の先生に、「バカ女!」と怒鳴られた。

私は妙に納得した。

自分はバカなんだ。



勉強はやらなければならないという目的が漠然とあり、教科書は整理されて読みやすく、テストの点数は良かった。それが私をより一層苦しめた。なぜ勉強は出来るのに、日常生活で出来ないことがこんなにもあるのだろう。友人や恋人から、あの時さ〜という話をされても、覚えていない。その時、友人や恋人は困って少し悲しい顔をした。


そんな私が大人になり、仲間かもしれないと思える人に出会える日が来た。認知症を持つお年寄りだ。私は職業柄、認知症を持つお年寄りと接する機会がある。彼らは同じ事を何度も聞く。私は彼らの気持ちがなんとなく分かるので、優しい声で10回でも20回でも同じ事を説明する。すると安心した顔で少しだけ理解してくれる。しかし、彼らの家族はあらゆる場面で質問する。「おじいちゃん今日何月何日かわかる?」。答えに詰まると、娘は「3月1日でしょう!」とため息混じりで諭す。私はそのやり取りを見て悲しくなる。なぜなら私も日付を覚えられないからだ。毎日新聞は3紙読み、印象的な記事は直ぐに記憶できるが、日付は覚えられない。川端康成の「雪国」は一度読んだだけでストーリーが頭の中に入ったが、電話番号は自分以外、誰の番号も覚える事が出来ない。私は数字に弱いのだ。


先週も勉強会でペンを忘れた。職場の上司は「七海さん、今日も順調ですね!ペン2本持ってきました!」と笑顔で貸してくれた。私は感謝の言葉を丁寧に述べた。勉強会の内容が興味深く、その後借りたペンを返すのを忘れている。私は日常で助けられる事が多いので、積極的に人の役に立ちたいという気持ちは強い。職場の上司は記録物の作成が苦手なため、私は猛スピードでそれらを処理する。

私はバカな部分もあるけれど、バカではない部分も沢山ある。

頑張っても出来ないことがあるけれど、誰よりも得意なことがある。

もし、自分はバカだと悩んでいる人がいたら、その気持ちは遠慮なく手放してほしい。

私は今日も順調に忘れながら、誰かに助けられ、誰かを助けながら生きている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?