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人生は演技の連続で、私は素晴らしい女優。

人生が演技の連続だとするなら、私は素晴らしい女優だ。


幼少期から周囲に馴染めなかった。

ボーっとしていることが多い反面、不注意で、よく親や教師に注意されていた。

いつからか周囲の人々の顔色を伺うようになり、どうしたら目の前の人が喜んでくれるか、どうしたら注意されずに済むのかを常に考えるようになった。


ありのままでなんて生きていたら、辛すぎて死んでしまうと思った。


大人になるにつれて、私は相手の表情を見ただけで、何を考えているのか、何を求めているのか段々と分かるようになった。相手の職業や大切にしていることを見定め、喜ばずには居られない言葉を選び、絶妙なタイミングで伝える。

ある時は大きな口を開けて笑い、ある時は目に涙を溜めて黙り込む。ある時は、罵倒して怒り、ある時は全身で感じる。

人は簡単にコントロールできるんだと思った。

しかしながら、これらは相手を騙すために行っているのではない。


傷つかないように自分を守るためなのだ。


素晴らしい演技のお陰で、私は15歳の時から彼氏が途切れることはなく、大学院を全ての科目A判定で修了することができた。管理職となり、二つの大学院の非常勤講師も任されている。

後輩は「七海さんは完璧。どうやったら七海さんに近づけますか」と言う。

みんなが私に優しくしてくれるようになった。

みんなが私を尊び、褒められることが増えた。


けれど、その度に私は息苦しくなっていった。

いつもビクビクしていて教室の隅でただ、時間が過ぎるのを待っていた日々。

友達と呼べるような何でも話せる人なんてずっといない。

家事も出来ず、親に甘える毎日。

1人になった時だけ、本を読んでいる時だけ私がありのままにいられる時間。


今日、上司からまた一つ講演の話が出た。いつもなら、ありがとうございますと引き受けてきたけど、もう無理だと思った。自分には出来ないと伝えても、上司は頑張りなさいと引かない。

私は演技を辞めた。

「私は人前に出るのが小さな時からすごくストレスなんです。今も変わりません。恐くなって不安になって夜眠れなくなるんです。4月は他に3つも出なければならないので、今回は無理です」とキッパリ伝えた。上司はあっさりと「そう。それはしょうがないわね」と引いた。


演技を続ければ、もう1人の偽の自分に殺される気がした。

演技をした時間の分だけありのままの自分でいられる時間が必要なのだ。

これからは女優の自分が半分、ありのままの弱い自分が半分で生きていけたらと思う。



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