人は「何かをしない言い訳」を考える天才だ。

人は、行動をしない言い訳を考える天才だ。したいことを前にしても「いや、時間がないし」とか「いや、資格がないし」とか。でも、それは自分の行動を制限することにしか効果を発揮しないし、無限の可能性を見ない・見たくないという事実を尤もらしい言葉で正当化しただけだ。

時間がないならつくればいいし、資格がないならこれから取りに行けばいい。もちろんそれによって工夫したり、やりくりするべきことはあるけど、要はそれだけのことだ。実にシンプルなのだけど。本当ならばそのシンプルさで生きられるのに、いつも自分をぐしゃぐしゃにして「ほら!私は〇〇だからうまくいかないのよ」と吠えていたい人というのは一定数いて。それは「自分はここから一歩も動きたくない」ということを認めないといけないのだけど。認められないから吠える、みたいな堂々巡りをずっとしている人がいる。

要は、自分は何にでもなれる可能性があるんだけど、自分という石を磨くことをしないまま、石ころの自分を認めてもらおうと必死になって吠えている。あるいは、他人の既に磨いてある石を見て自分にはそれがないと嘆く。
「あなたはダイヤモンド持ってるけど、私には石ころしかない」と。

自分の才能に気がついて伸ばしてあげられるのは自分しか居ないのだ。そんなこと言うと身も蓋もないかも知れないけど。自分が今は石ころであることを認めて、その石ころを何とか磨いてみようと自分に正直になってみる。そうして自分に正対して石ころと向き合ってみる時間が必要なことってあるのだと思う。


これはもうお焚き上げのような気持ちで書くけれども。自分も他人が羨ましくて仕方のない人間だった。
誰かが成功していると聞けば嫉妬ややっかみをし、自分には才能がないと嘆き、そのくせ自分が何をしたいのか、あるいは何が出来るのかを真剣に考えることはしなかった。いつも誰かの成功を見ては「あんなの大したことない」とか「あんなの私にだって出来る」とか息巻いて相手を下に見ては満足するような、有り体に言えばゴミだった。

今だって別にできた人間ではないけれど。それでも「今の自分には何もない」という事実を直視して、それから何が出来るのか、何がしたいのかを模索する日々を過ごしてみて。実際に何か行動を起こすことで爆速で叶うし、叶え続けている途中にいるのだと思うようになった。
過去に投げ出した占いをもう一度やり始めてみたり。絵も少しずつだけど制作して新しい方法を試したり。反対に、もう自分にとっては負担になってしまったハンドメイドは一旦ストップしたり。新しく、アクセスバーズやファンデーションクラスを受けたり。

私は才能がなかったから出来なかったのではない。それ以前の話で、ただ努力せず途中で投げ出してしまっただけだ。勝手に諦めて不貞腐れて、自分を投げ出して騒いで居たら誰かが自分を助けてくれるんじゃないか、引っ張っていってくれるんじゃないかと他人に甘えて居ただけだ。
今は、自分の持っている原石を見つめては磨き、また見つめては磨き…を繰り返しているだけだ。完成するかはわからない、でも磨く手を止めない。そしたらその石ころも、少しは綺麗な部分があるのかも知れないと思えるようになった。そういう話だ。


「あなたは才能があっていいよね」そういう人には「えぇ。ありがとう」と言って受け流してしまえばいいのだ。それは、何もしていない、何もしようとしない人の言葉だからだ。
そして、「誰かが自分を助けてくれる」「この人は自分を引っ張ってくれるのではないか」という願望は、何かを盲信したり、あるいは誰かに操作されたり搾取されたりすることに繋がっていくので、それも気をつけたいところだ。
そういう自分の弱さもきちんと認めて、その上で自分の足で立つならば、世界は案外優しいし、たくさんの可能性が拓けてくるのである。

(2020年12月2日のブログに加筆修正)



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