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推さない、駆けない、死んではない。

推さない、駆けない、死んではない。

中年期における人間がおそらくよくやりがちな、人生というやつを道のりに例えることを自分に当てはめてみれば、これまた陳腐にも──思えば遠くに来たもんである。という、嘆息を吐きたくなるような感慨が浮かぶ。

急にそんなことを思いついたのは、世間の諸々の事情で、ジブリ作品が映画館でリバイバル上映されたのがきっかけだ。
その中には風の谷のナウシカと、もののけ姫と、千と千尋の神隠し。など。があった。

風の谷

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タオチー拳法のすべて

タオチー拳法のすべて

よいか我が一番弟子、ウーウルーよ。
儂も、もう長くはない。
おぬしにこれより教えるのは、かつて最強とうたわれたタオチー拳法の正統なる後継者であることを証明する五つの奥義のそのうちの一つである。
その前に、タオチー拳法における奥義のなんたるかを教えねばならん。
長い話になるゆえ、寝てはならんぞ。

奥義のすべてを修めたのはタオチーの開祖ウェンから下ること六代めのイーヤンじゃ。ウェンの頃には奥儀はま

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瓶詰め。

瓶詰め。

伝統的なサワーピクルスを作ってみよう。

と、いっても簡単なんだけどね。
基本は、野菜と水と塩があればいい。
あとは何か適当な容器。
そうそう、このあいだママレードを食べきった、でかい瓶があったね。あれにしよう。
それにしてもこの、ラベルシールって奴はなぁんで剥がれが悪いかね。ほら、端っこの糊が伸びて、模様みたいになっちゃった。

鍋に瓶を入れて煮る時って、聖別って感じがするんだよね。やってること

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ひとにやさしく

ひとにやさしく

緊急社内ミーティングが執り行われた。
といっても、この会社は従業員規模50そこそこの中小企業の、吹けば飛ぶような製造系なのでこの言い方はローカライズできていない、ごく一般的な伝聞だ。

従業員の正しい表現では
──社長がまたキレた。
と言われている。
営業課の某もまた、寝ぼけた眼を細めながら一同が会する工場に雁首揃えながら。

──どうしてこんなに社長はキレるんだろう、キレる頭の持ち主ならおれらの

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崑崙

崑崙

中国古代の伝説上の山岳。

居ぬ人に向かって語りかけるのは
愚かなことだと笑うだろうか 誰か

夜の帳が下りたころ
篝火からはぜた火花が泣いていく

弦よ 奮っておくれ
痩せた指とつれた喉を音色に隠して

ねえ
手紙が届かぬ かの地にあって
光を追いに 山へ向かった男たち

選んだものに眩んだまなこは
闇の彼方へ消えてった
あの流星を捉えてくれた?

夏に願ったいくつもの
願いを射かけた星の矢羽根

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死して候え、おじいちゃん。

死して候え、おじいちゃん。

おじいちゃん、という愛着のこもった呼び名とはべつに私の祖父はうちの中でこの上なく死を切望されている人だった。

パパはマザコンで、つまりおばあちゃんを蔑ろにした罪で憎み。
ママは嫁いだ時点で狂人という存在を受け入れなくてはならなかった不幸と、その元凶であるおじいちゃんを憎んだ。
兄の竜正さんはおじいちゃんの血を引いてるパパとその阿呆に嫁いだママの子供として生まれたことから逃避するために、芸術に生き

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月餅はどこにある

月餅はどこにある

S県S市の競馬場ちかくで、月餅知らんが、知らんか。と中年男性に尋ねられたら、それは大抵において月餅おじさんこと、俺の叔父の犯行である。

嘆かわしいことに身内から狂人を出してしまった。

月餅おじさんは身の丈3メートルの大男で、顔にIKEAのものと思わしきポリバッグを擦り切らしたものを被り、両手に中華街で見かける謎のでかい中国人の被り物をグローブにしながら、のそりのそり。と近づいて来るのだ。

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杭打ち人の恋

杭打ち人の恋

霧にまみれた薄暗い街を根城にするおれは、遠くから見るとまるで頭の欠けたマッチ棒のようだった。
おれは杭打ち人。
杭を打つことばっかりを生業にしているが、何かに一旦ケリをつけるというのも仕事のうちだ。

裾がぼろけたチェスターコート、肩を食い込ませる背負いの網籠には、さまざまな杭が入っている。
指を食い込ませる革のバッグにも木槌に金槌、錆びないように豚の脂で磨いた小さなピックやらがぎちぎちと押し込ま

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綺羅星

綺羅星

「俺はだれだ」
ある所に名前のない者がいた。
往来で出会った滑舌の悪い、日雇いのアルバイトをしているティッシュ配りの男に
──お兄さんどうぞぉ。
と言われたがためにその者はむくむくと赤黒く膨らみ、いきる金棒を振りかざす隆々とした鬼になってしまった。

「ありがとう、ブタクサが辛いでな!」

恭しくティッシュを受け取り、鬼は男をくしゃくしゃに潰して屑篭のなかに収めてしまった。

鬼は続けて地方銀行に

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お前

お前

俺のゆらぎの波形を嗤う、お前
俺の陰で熱風に縮みやり過ごす、お前

俺が軋むのに揺られている、お前
俺が荒れ果てるのに砕かれるのも、お前

俺と嘲りを保って沈み行くのは、お前
俺と虚空に投げ打ってほつれているそれも、お前

俺に差し出した言霊で取引する、お前
俺に水晶体をかざしてしつらえを確かめる、お前

俺を書き留めた手紙を封蝋して送らぬような、お前
俺をさざめきに拐われぬよう紐を結わいてみてい

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缶詰

缶詰

缶詰は、うまい。
他のだれが認めなくったって、この俺が認めるのだからそれはきっと、うまいことになるはずだ。
そうでなくてはならない。

焼き鳥の缶詰なんかどうだい。
不思議じゃないか、焼き鳥っていうのは鳥をさばいて焼いてタレだとか塩を振って食うもんじゃないか。
さばいて、焼いて、タレがかかってる鳥がこの中に入ってる。
不思議だなぁ、わからんなぁ。わからんけどうまいなぁ。

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エイヒレ

エイヒレ

「そのエイヒレ、おいしそうだねぇ。俺にも分けてよ」

居酒屋での出来事だった。数えきれないほどの酔っ払いの酒と手脂とを吸い込んだぴかぴかのカウンターの左手から、酔いどれが俺に声をかけてくる。
生きていると、こういう不躾な輩がいるのは仕方ないことだ。人には人の悩みがあるように、エイにはエイの悩みがある。

俺はたしかに生物でいうところのエイで、この腕についているのはエイヒレだし、そして味醂の製造会社

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うみゆり

うみゆり

──そっちいったぞぉ、大きいぞぅ!

酒枯れした船長のガラガラの声が、奴らの立てる、まるでずっと昔のテレビで聞いた飛行物体みたいなゆんゆんとした音に負けないように張り上げられて、私は水面に目を凝らした。

大きな波うねりの中に小さなうねりが数えきれないほど上がって、船体に当たって白く泡立つ隙間から、ちらり、ちらりと発光しているそいつの体が、夕暮れていく海のなかでもはっきりと見えた。

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イラクサ

イラクサ

そう呼ばれる植物があるのは知っていたけど、実物を目にしてから、わざわざ説明を受けると、ほう、これがね、と謎の感動があるような、ないような。

野草観察ツアーなんて誰が行くの。と不満を言ったような気がするのは下見として旅行誌を眺めていたときのことで、旅で緩んだ財布の紐、聞いたこともない誰それの美術館とか、温泉しか特徴がない二泊三日の旅行のなかで行き場のなくなった、余った時間がこういうよく分か

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