考えすぎちゃおう

※過去に当サークルのHPで公開された記事です。
(公開日:2018.2.17 執筆者:松本)

前回(僕が書いた記事の中での前回です)の最後で「我思う故に我有り」というデカルトの言葉を取り上げました。正直この言葉とロジカルシンキングって全く関係がありません。単純に文末に載せたらフィットしたので、載せただけです。

 この言葉の意味は皆さんが調べてください。何でもかんでも答えを載せたら面白く無いでしょ?有名な言葉ですし、自分自身で調べてみればいいと思います。言葉の解釈なんて千差万別十人十色なんですから。

 さて、今回も「思考」についての話をしたいと思います。まだやるのかよとか言ってはいけません。僕自身でも何でこのネタでまだ書いているんだろうって思ってますから。

 前々回が“知恵”と“知識”の違い、前回が“知恵”の付け方の話でした。では今回は何の話かと言うと、哲学の話です。

 ちょっと待ってくれよ、と思う人がいるかもしれません。思考の話でどうして哲学になるんだ、と思う人もいるかもしれません。でも意外や意外、哲学と思考って非常に近しい関係なんですよ。

 そもそも哲学ってなんやねんって話ですよね。哲学とは学問の一種です。何かの真理を追及していく学問です。この説明も正解半分間違い半分な感じはしますけど、大体こんな感じだと思ってください。

 もっと分かりやすくするために、有名人を挙げていきましょう。哲学という学問に携わった有名人です。まずは古代ギリシアからアリストテレス、スコラ学派のロジャー・ベーコン、ルネサンス期のニッコロ・マキャベッリ、宗教改革の時代のマルティン・ルター、啓蒙時代のジャン=ジャック・ルソー、弁証法で有名なヘーゲルなど、他にも様々いますが、倫理や世界史の教科書で見たことのある顔ぶれではないでしょうか。

 この人たちはいわゆる哲学者です。何をしたかと言うと、「考え方」を残しました。彼らは何かについて深く考え、深く掘り下げ、一つの命題に対しての問答を繰り返したのです。何かについて、追求し探求し、その奥に眠る真理の扉を開ける事こそが哲学なのです。

 そして、真理の扉を開いた哲学者はそれを文字にします。その文字の束はやがて紡がれ本となり、世間へ流れていきます。時には、出版された本の一節がその人を表す格言となる事もあります。「神は死んだ」とか「コギトエルゴスム」とか、そういったものです。

 ここまで色々つらつら書いてきました。結論の時間です。これまでの950字は前座にすぎません。本当に大切なのはここからの100字ぐらいです。

 みんな哲学をしよう。

 これが今回の結論です。他に何も言いません。皆さん哲学をしてください。考えに考えて真理の扉を開きましょう。

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