我が名はガジュマル・17
「アイボウ」
風が蜂蜜色から若草色へと変わる頃、オレは給食室への侵入を再開した。
しかし、思うところあってパンではなく、鳥の唐揚げやソーセージなどを
調達するようにしている。
「パンじゃねぇのがちと残念だが、こいつらもいけるよな」
シロさんは魚以外に嫌いなものはないらしく、出されたものはなんでも喜んで食う。
「あぁ、うまかった、ごちそーさん!」
ニンゲンのように礼儀正しく締めくくり、毎回決まってこう付け加える。
「けど、、アレだなぁ、、あのあげパンっつうの?ありゃあほんと、
うまかったよなぁ、、」
よっぽどパンに未練があるらしい。
「あのなぁ、こないだネコの飼い、いや、『ネコについて』の本を読んだんだけど。パンはシロさんの体には、あんまりよくないみたいなんだ。だからさ、食わねぇ方がいいんじゃねぇかな」
「どういうこった?」
「だって、ネコは肉食だろ?ネコに必要なのはタンパクシツで、タンスイカブツはショウカが悪くて腹を壊すらしいんだ。そもそもニンゲンの食いもんはエンブンってやつが高くて、ほんとはシロさんには、、」
「ちょっと待ったぁ!」
顔面をしっぽで激しくはたかれ、話を遮られた。
シロさんの耳は後ろを向いている。
「確かにニクはうめぇ。腹持ちもいいし何より食うと力が湧いてくる。
けどよ、パンは特別なんだわ。なんていうか、、、
気持ちが腹一杯になるんだよ!」
気持ちにも『腹』があるのか?すげぇな。
「おらぁ、パン食って腹壊したことなんざ一度もねぇぞ!
だいたい、おれがうめぇと思うもんがおれの体に悪いわけがねぇんだ!
だからよぅ、あげパン、いやそれが無理ならせめてふつうの、つるんとしたパンをだなぁ、そのー、、、うーっ、、」
がりがりがり、枝を引っ掻き始める。
あんまり必死なもんだから、少しかわいそうになってきた。
「わかった、わかった。パンもとってきてやるよ。けど、たまにだぞ?
たまに!パンは控えめに! な!」
「おほっ、ありがてぇなぁ、さすがガー公。
なにしろパンくれるやつぁ、おめぇしかいねぇんだ。
頼りにしてるぜ、相棒!」
そういうとシロさんは、頭をオレの腕に擦り付け、
喉をごろごろと鳴らした。
相棒。 あいぼう。 アイボウ。
トモダチとも違う、少し大人びたその響きが、なんだかこそばゆい。
「しょうがねぇなぁ、もう」
そう呟いて、あれ?こういう感じ、どこかであったような、、、
一瞬思い出しかけたが、すぐに消えてしまった。
「七変化」
ぬるい雨がだらだらと続いている。
シロさんは濡れるのが大嫌いだから、
雨の日にオレの木にやって来ることはない。
あの日、ひととき雨がやんだ朝方に、
シロさんはのらりふらりとやってきた。
「ガー公よ、しばらくここには来れねぇが心配するな」
「え、、なんだよ急に。旅にでも出るのか?シロさん」
「今のおれは『シロ』じゃねぇ」
「・・・はぁ?」
「ちょっくら『シュガーちゃん』になってくらぁ。
じゃあなガー公、達者でな。雨がやんだらまた会おう!」
そう言ってシロさんが姿を消した直後、
オレは天気予報で梅雨入りしたことを知る。
考えるに、雨の日に外に居たくないシロさんは、
長雨の時期には、何処ぞかのニンゲンの家で過ごしているのだろう。
その家の者に「シュガーちゃん」と呼ばれているのだ。
砂糖のように真っ白だから、「シュガー」なんだな。
そして、そういう家は多分他にもいくつかあって、
そこでは「マシュマロちゃん」とか「もふもふちゃん」だとか
呼ばれているに違いない。
「呼び名は色々ある」と言っていたのは、こういうことだったのか。
調子のいいシロさんらしくて笑ってしまったのだが、
コザクラは面白くないらしい。
「ほんとにかってよね、あいつ。
あんたね、あいつにりようされてんのよ、り・よ・う!
わかんないの?あいつ、たべものさえもらえれば、
だれだっていいんだから」
ネコってのはもともとそういうものだ。
行きたいところに行って、居たい場所にいる。
オレはシロさんの、そういうところに憧れているのだ。
しかしコザクラは唇を尖らせて続ける。
「だいたいあいつ、みためはまっしろでふわふわできれいだけど、
うるさいしわがままだし、なかはぜんぜんちがうんだもん」
うん?いるな。いるぞ。
そういうやつが、ここにもうひとり。
先日の既視感はこれだったのか。
コザクラがシロさんを嫌うのは「同族嫌悪」ってやつなのかもしれない。
「よう、相棒!元気にしてたか?」
ひと月後、梅雨が明けて空に青とタイヨウが戻ってくると共に、
シロさんはひょっこり現れた。
しかし、木を登ってくるのにやたらと時間がかかっている。
体がとても重そうだ。
「ちくしょう、体がなまっていけねぇや。
はぁ、やっぱりここは落ち着くねぇ~」
オレの隣でぐぐんっと伸びをすると、ごろりと寝そべり毛づくろいを始めた。妙に毛艶が良くなり、ひとまわり大きくなったように思える。
「太ったなぁ、シュガーちゃん」
そう言って丸くなった腹周りの毛を撫でたら、
鋭い蹴りと噛み付き攻撃を食らった。
「ニセモノトンボ」
怒涛の夏。
閑散とした中庭に、セミの声だけが響き渡る、日曜の昼下がり。
地面から立ち上る熱気を引き連れてやってきたシロさんは、
咥えていた物をオレの手元にぽと、と落とした。
「ほれ。みやげだ、みやげ」
みやげって。なんだこれ、虫か?トンボじゃねぇか。
「トンボのぬけがら」なんぞ、オレは食わねぇからな。
いやよく見るとそれは本物ではなかった。
透き通った羽の正体は乳白色の薄い布。ふたつずつ重なっていて、糸のように細い針金が絶妙に歪みながら、楕円の羽を象っていた。目玉は黒いガラス玉。見る角度によってちらちらと光る胴体は、浅葱色の柔らかな布。
ニセモノトンボは細い紐につながれ、その先には箸のような棒がくっついている。
「おめぇがあんまり退屈だぁ、退屈だぁ言いやがるから、なじみのニンゲンの家から持ってきてやったんだ」
「これを、、、オレにどうしろと」
「違う、そっちじゃねぇ、持つのは棒の方だ。そう。んでもって、なんていうかそいつを振り回すっていうか、だなぁ~」
シロさんの目が妙にきらきらとしてきて気味が悪い。
「こうか?」
ニセモノトンボを軽く「飛ばして」みる。
うずくまったシロさんは、尻を二、三度ふったかと思うと、
ものすごい勢いで飛びかかってきた。
「うわ!ちょっ、、なんなんだ!」
思わず手を振り上げると、シロさんはすかさず方向変換。
オレの腹と顔面を踏み台にして幹を駆け上がり、トンボに爪を立てた。
反射的に棒を引き、取り上げる。
翻ったシロさんは完全に「ハンター」の形相で、その眼中にオレはなく、
逆方向へと移動した獲物を追って再び飛び上がった。
「ふんにゃーーーーっ!」
すっかり忘れていたのだが、シロさんは「ネコ」であった。
これは、このニセモノトンボは、いわゆる「ネコジャラシ」ってやつではないか。オレへのみやげというか、おっさん、ただ自分が遊びたかっただけなのではないか。
しかし黄土色の棒を握り直した瞬間、オレに奇妙な「使命感」が宿った。
『シロさん、いや「ネコ」が飽きてしまわぬよう、時には早く、時には 遅く、わずかに隙を残しつつ、ニセモノトンボを本物らしく飛ばさなければならない』
「よし来い、シロさん!捕まえてみろ!」
枝から枝へ、トンボを巡り、オレとシロさんは飛ぶ。
上へ、下へ、右へ、左へ。
オレたちの攻防戦は次第に激しくなってゆき、枝の先の先まで来ていることに気がつかなかった。
ぱきっという音をとらえ、シロさんと目が合った瞬間、足元が軽くなる。
はっとなって枝葉に気を移した時にはもう遅く、オレたちは見事に落下していた。
「てめぇの木から落ちるなんざ、世話ねぇよなぁ、ガー公よ!」
空中で一回転し、華麗な着地をしてみせたシロさんは、草まみれになってひっくり返っているオレをからかう。
「なんだよ、シロさんだって、すっげぇツラしてたぜ!」
目を見開き、顎をがくんと落としたシロさんの顔真似をしてみせた。
なんだか無性におかしくなって、ふたりで笑い転げていると、
「ばっかみたい!」
一部始終を見ていたらしいコザクラが、心底呆れかえった顔で言い放った。
みーん、みーん、みーん。
みーん、みーん、みーん。
セミの合唱は滞りなく続く。
シロさんは校舎脇の手洗い場で水を飲み、焼けついたコンクリートをなるべく踏まないようにして木の上に戻ってきた。
「あぢぢっ、くっそ、足の裏が焦げちまうわ。
ぎらぎらぎらぎらタイヨウの野郎、暑っ苦しいんだよ!
ったくなんだってよう、ナツなんてもんがあんだろな。
セミはうるさくて眠れやしねぇしよぅ」
薄い桃色の肉球を舐めて冷やしながら、悪態をつく。
「オレは暑いくらいがちょうどいいんだけどな。タイヨウはなきゃ困るしセミは、、、うるせぇな」
「そういや、おめぇの木は脳天からタイヨウに炙られてるってのに、
なんでここはこんなに涼しいんだ?あ、そうか!おめぇか?おめぇが、
木ん中にそこらじゅうの、くそ暑いのをかき集めて閉じ込めてんのか?」
「そんな器用なことできねぇって」
ただ、上の枝葉を調節して、日陰と風の通り道を作っているだけだ。
シロさんは少し残念そうな顔をしたが、冷たい枝にぺたりと張り付くと、
目を閉じた。
「なんにしてもだ、今年はいらいらしなくてすみそうだぜ。
あぁ、ありがてぇなぁ」
さら、さら、さら。
薄水色の風が通り過ぎる。
白い毛の塊からはもう、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。
セミがうるさくて寝られないんじゃなかったっけ?
まぁ、あんだけ動きゃあ疲れんだろ。見た目よりも歳くってるはずだしな。そういえば、オレもあんなに飛び跳ねたのは久しぶりだ。
心地良い疲労感。少し眠ろうか。
目を閉じてみるが、頭の中の「小さいオレ軍団」がまだ興奮状態で
走り回っていて、うまく眠れない。
諦めて目を開け、ゆっくりと流れてゆく雲の塊を眺める。
あぁ、見ろよあの雲、シロさんみたいだなぁ。
あのへんが頭で、手足がこう、どろーんと伸びててさ、、
なんて、教えようにもアイボウはすっかり夢の中。
おいおっさん、舌しまい忘れてるぞ。
そうこうしているうちに、シロさん型の雲はとろけ出し、
隣の雲とくっついて、青空をのほほんと漂っていった。
みーん、みーん、みーん。
セミの声しか聞こえない。
何も変わらない他にすることもない、いつもの夏の一日。
「退屈だなぁ、まったくよ、、」
思えば何千、何万回と呟いてきた。
あれほど憎たらしく、呪いのジュモンのようだった「退屈」の二文字に、
親しみのようなものを感じたのは今日が初めてだ。
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