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正岡子規というひとがわたしは好きで、

正岡子規というひとがわたしは好きで、

ゼミの課題やその時仕事で抱えていた塾や予備校の報告書から逃げるように、図書館でカビた本を繰っては、彼の書いた論評や歌を貪り読んでいたのを思い出します。

明治という時代は、前時代の批判というレトリックを使わないと、人の心に響かないという風潮があったようです。

古典を引き合いに出して、滅多斬り、痛烈な批判の数々は、読んでいて心のスカッとするものですが、ふとひいて読んでみると、それは、世界文学を作らないといけないという強迫観念に似た使命の中、その流れの中で、争う紛れもない彼の前時代への執着や愛着の一端であったりします。

わたしは、その二律背反な叫びがなんとも好きで。
苦悩や歓びを垣間見ては、密かに共感をしていました。

さて、こういうのを考えていると、現代のweb上に溢れているレトリックは何かと、考えがまた末路に広がってしまいますが、それはまた別の機会に考えたいと思います。

彼の論評は批判を繰り返せば繰り返すほど、彼や彼らが親しんできた江戸以前の文脈を認めざる得なくなる。

優れた写実性と、かな文字という参入障壁の少ない形式で始まった散文が、四季自然のうつろいや、人心の機微をうちに秘めながら、宗教観や政治的なイデオロギーさえも巻き込んでしまう。

彼は、病床の中でその散文の魔力というべき秘密も、薄々気づき始めたのではないかと思うのです。

恋愛に仮託するコミュケーションやそのコミュニティが和歌だと言われます。

それは、原始の歌が歌垣としての機能を持っていた、呪術的な機能を持っていたからですが、後になって律令や歳時を司る王朝の賛美、末法踏まえた仏教観で緩やかに千年をかけて変遷を遂げます。

これから、律令と仏教を引いて残ったのが風雅で、江戸経済の絶頂期に生まれた俳句としての芭蕉。

アンチ古今集をして自然と心情の機微にフォーカスを当て、世界の文学史と対峙したのが正岡子規だったのだと思います。

こんな簡単に単純化してゆってしまうと怒られそうですので、また勉強をしたいと思います。

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