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頑張れと言う言葉

芸人という仕事をしようとしていると、よく友人などの連絡の最後に「頑張れ! 応援してるよ!」と書かれていることがある。ホントかな?とまず思う。これは僕がひねくれているからなのだと言うことは重々わかっている。申し訳ない。ごめんなさい。でも、言われた瞬間はそう思ってしまうことが多い。なぜなのだろうかと考える。多分、僕が逆の立場で、このメールを送る側だとしよう。多分、心の底から応援なんてできないと思う。それどころか、いい加減まともな職業につきなよと相手に対して思ってるかもしれない。そう言う風に思うから自分が言われたときにそう思ってしまうのだろう。

特に日頃から、「頑張れ」と言う言葉には疑問を感じている。勿論、他人から言って貰える「頑張れ」はポジティブに頑張ろうと思えるのだが、自分が「頑張れ」を他人に言おうとした時に言い淀んでしまうのだ。多分、僕が「頑張れ」と言う事によってその人は「頑張ってない」事になってしまうのではないかと思うからでだろう。少なくても僕の周りにいる人達は頑張っている人が多い。だから自分が「頑張れ」などと言う事で、無理をさせてしまうのではないかと不安になる。頑張り過ぎてその人が体を壊すことが嫌だ。考えすぎと思われるかもしれないがこの思考がグルグルと脳で回っている。

一度、この思考を昔付き合っていた彼女にしたことがある。僕がなかなか強めの熱でこの思考を伝えたところ彼女は考えすぎだとまず言い、そこからはしばらくドン引きしていた様に思えた。まあ、でもそりゃそうだ。おかしなことを言っているのは自分でも自覚がある。みんなそんなに考えて「頑張れ」なんて言わないし、言うときは心の底からポジティブな感情で言っているのだろう。でも、まだまだそんな気持ちにはなれない。

そんな僕はみんなが「頑張れ」を言う様なシチュエーションの時には「無理しないでね」と言う様にしている。これは自分的には中々の発明だと思っていた。相手の頑張りを理解しながらも、この先を心配している。なんと、愛に満ち溢れた言葉ではあろうかと感動していた。しかし、僕の大好きな劇団、大人計画の主宰でもある俳優の松尾スズキさんが過去に何かの記者会見で「頑張らない」と発言していた。かっこいいなあ。しかも対比になっていて抗っている様で素敵である。自分の「無理しないで」なんて発明でもなんでもなかったのだ。

さて、長々と自分の意見を書かせて貰ったところで今日も新しいネタを考えよう。自分に頑張れと言い聞かせながら。

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