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まとも

まともな人間とはどんな人かを考えている。

昨日、朝のバイトでのこと。朝に働ける場所を探していると養成所時代の同期から言われてそれならうちで募集してるか聞くよとなり、社員の方に「今ってバイト募集していますか?」「ああ、してるよ。紹介してくれんの?」「僕の友達で1人紹介しても良いですか?」「良いけど、まとも?」「……………まともだと思います。」即答できなかった。勿論、紹介する友達はまともだと思う。挨拶もちゃんとできるし、まともじゃないと思う所がないからだ。では、それを判断した僕はどうだろう。こいつはまともじゃない。こいつとは僕だがまともじゃないと思っている。人が気にならないことが気になったりするし、偏見で物事を見たりする。そんな自分が判断するまともなので、即答できなかったのであろう。

まとも、普通、とは何か。(ちなみにこの僕が考えるまともなので、この時点で偏見に塗れているので悪しからず)24歳の成人男性のまともを考える。まずは就職している。はい、この時点で僕はまともでないことが立証された。まとも、とはどうしても多数派のことを指してしまう。この歳になったら貯金もちゃんとして、結婚を考えている彼女がいると思っていた。下手したら子供もいるのではないかと小学校の僕は思っていた。ごめんな、一つもないや。現実はそんなに甘くなかったよ。

自分以外の人はまともだと思っている。ちゃんとした生活、社会との交流、一般的な言葉遣い、作法。僕の友達の社会人はみんなこれができている、社会に出たら嫌でも身につけなければならない物なのかもしれない。これらができている人達は眩しくて見ていられない。自分にはないものを全て持っているように見え、人生を楽しんでいるように見える。実際、当人たちからした「お前の方が気楽で楽しんでいるだろ!」と怒られそうだが、どうしても気持ちが消えない。こうやって、どんどん負のループで沈んでいく、ひどい時は日本海溝くらい沈む。

ちょっとでも、この眩しい人たちに追い付きたいと思う。でも、何を持って追い付いたと判断するのだろう。お金を稼げるようになったとしても、そんなに幸福度は変わらない気がするし、このひねくれた僕は何かと理由をつけてまぶしい人たちを妬むのであろう。今更この性格を変えたいとは思わない、心の中で何を思っていても、声にさえ出さなければ悪い気にさせることはない。今日も、僕はまともに見える仮面をつけていく。

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