なぜしなければならないのかと言う疑問
現況
僕は今中学三年生、世間的に見れば受験も近く真面目に勉強しなければならない。といわれる年代でしょう。
課題も多くなったり、授業ではプリントを解かされたり、受験のために必死になる頃です。
そして必死にならない僕は周りから「アホやな」「落ちろ」みたいなのを半分冗談ですが言われます(笑)
それ自体は慣れたのと考え方が根本的に違うのでもう全然痛くもないのですが、あることを疑問に思いました。
なぜみんながみんな受験は頑張らなくてはいけなくて、受験勉強は真面目にやらないといけないものなんだ!
と思っているか、あるいは思い込まされているかです。
原因
それは、未来のためという口実。
中学三年生にもなると、親や教師、周りの大人から将来について話を聞かされたり、話を聞きに行く機会があると思います。
また、自分で考えることも増えるでしょう。
そして中学生の浅い考えでは多くの人が、勉強をして、いい高校に進学し、いい大学に進学し、大企業に就職することが幸せへの道なんだと、それ以外の方法を考えずに、ただひたすらに熱心に勉強しています。
これは学校教育が原因でもあります。
学校教育では受験勉強をしなかったり、課題を出さない子たちを「悪い」と認識させることで子どもの考え方を知らず知らずのうちに偏らせてしまっているからです。
アインシュタインの発言
アインシュタインの
『常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』
という発言を知りました。
考え
先入観は何によって形成されるのか考えるとやはり親や教育機関など、関わりの多い大人なのでは?
それでも未来のために、となるなら何も止めるようなことはありません。
ですが、よくわからない目標のために、そしてそれがどんなことであるかもよく知らずに頑張ることは本当に幸せなのでしょうか。果たして行き着く先は幸せなのでしょうか。
労働に40年も耐えなければならない人生は僕は絶対に嫌です。みなさんも望んでいないはず。
だからこそ、本当に今できることは何なのか。今したいことは何なのか。
それを考える必要があるのではないでしょうか。
また、ある意味バカに生きるということは大切です。
なぜならこの考える工程をすっ飛ばして行動に移せるわけですから、考えてからする人よりも時短できますし、短い人生でよりいろんな経験を積めます。
終わりに
いつ死ぬかわからない人生で、
そんないろんな経験をする人生と、22年学業に全うし、40年労働し、老後に楽しむんだという人生。どちらも良し悪しはつけられません。決めるのはその人生を生きる主人公であるあなた、そして僕の人生の主人公である僕が決めることです。それぞれなんです。
この機会にみなさんも、色んな人生を思い浮かべて、生きたい人生を考え、そのために忍耐することがあるなら時に忍耐し、なにより楽しんで生きましょう。
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