見出し画像

頭の中が違うと空の色も風の匂いも見てる景色がちがってくる

先日、面白い体験をした。

夫婦で車で出かけた時のことだった。旦那さんが運転し、私は助手席。
秋晴れの気持ちの良い午前中。大好きなファミマのコーヒーを飲みながら目的地に向かう。朝イチに外で飲むコーヒーというのはたまらなく美味くてそれだけで幸福度が増す。サンドイッチも後でいい、後で。

そんな朝のコーヒを勝手に堪能してる中、とある交差点に差し掛かり、赤信号のため停止した。

横断歩道を歩いているのはおそらく20代であろう男性3人組。おしゃべりしながら楽しそうに笑顔で渡っている。

私はその時気づいたのだけれど、彼らは3人ともマスクをしていない。

何年か前のコ⚫︎ナ騒動以降、屋外であろうが屋内であろうが、顔にはマスク装着というのがデフォルトになってしまった。そんな世の中で、マスクなしで若者が楽しそうにおしゃべりしながら外を歩く姿を久しぶりに目にし、なんともすがすがしく嬉しい気持ちになった。

なんて言ったらいいか…、めちゃくちゃキラキラして見えて思わず笑顔になった。秋晴れの気持ちの良い午前中というのも手伝ってか、余計にキラキラして見えたのかもしれない。

助手席でコーヒー飲みながらニヤケてしまった。


そんな助手席で勝手に幸福感に浸ってニヤケながらコーヒー飲んでる私に突然旦那が何か言い始めた。

ここの信号歩車分離式やねんなぁ…
うちの近所の交差点もこうするべきやねん、うんたらかんたら。

なんか、
信号のシステムのことでボヤいてる…。


旦那曰く、横断歩道が絡む我が家の近所の大きな交差点。その横断歩道はいつも歩行者が多く、車が右左折するのにたいそう時間がかかる。信号無視して渡る歩行者も中にはいるので朝夕の混雑時には車がほとんど進めない。だからここの信号のように、うちの近所の交差点も歩車分離式にするべきやと思い出してイライラしながら訴えていたのだった。

仕事柄、車での移動が多い旦那にとって自転車や歩行者というのは言葉は悪いがウザい存在。車よりも規制が弱く、我が物顔の暴走チャリや歩行者がキライなのだ。


同じコーヒーを飲みながら、同じ車で、同じ景色の中にいたはずなのに…。見ているものが全然違う。衝撃だった。もちろん私が見ていた若者の姿に旦那はまったく気づいていない。

何が起こったのか、私の意識がぶっ飛んでただけなのか、少々戸惑い慌てたものの、どういうことなのかがだんだんわかってきた。

思考がちがうのだ。

思考、つまり考えてることのちがい。
考えていることが違うと意識を向ける先、意識のフォーカス先がちがってくるのだ。だから同じ場所、同じ景色の中にいても、自分の意識のフォーカス先が違うため、見えるものがちがってくる。

一方には見えていても一方には見えていない。
確実に存在しているのにもかかわらず、見るものによってそれは消えてるも同然になる。頭の中がちがうだけでこんな不思議なことが起こるのだ。


まぁだからといって
私が存在する世界の方が幸せで、旦那の世界は不幸そうとか彼にマウントとるつもりはないけれど、

でもなんかシンドそうな世界〜〜
と少々気の毒に思ってしまった。…やっぱマウントやな。

あなたの世界には今、どんなものが見えていますか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?