書くこととわたしと、自己紹介
書くことについて
実は以前noteのアカウントを取得したことがある。
もうすでに当時のアカウントは消していて、ここは2代目。先代は、結局ひとつも記事を書かれないままその任を解かれた。
わたしはTwitterが好きだ。その時感じたことや考えたことを直感的にアウトプットできるから。けれど、140字の制限がどうにも窮屈になった。リプライを繋げばたくさん書けるから、最初はそうしていた。けど、なんだか周りのTLを圧迫しそうで気を遣うし、本当は全部読んでほしいし、伝えたいはずなのに、周りから見えない形で繋いでいくのにも違和感があった。
だから、Twitter以外のプラットフォームを探して、結果、noteに行き着いた。
でも「記事にするようなこと日常に起こらんしな…」「しかも書くの得意じゃないしな…」なんて言い訳していたら、何も記事を作らないまま、ひとつのアカウントが消えることになった。
時は流れて、2021年。
わたしは2代目のアカウントで、こうして記事を書いている。
きっかけは単純。友人に勧められたから。
そしてその友人の語る根拠が、わたしが今直面しているハードルを越えるのに、とても適していたから。
脱「ちゃんとやらなきゃ」計画
わたしは声優を目指している。ごく普通の会社員をしながら、その傍らレッスンに通いオーディションを受けている。(職場の人たちが理解し、応援してくれているのが本当にありがたい)
声優に限らず芸事というのは「型」がある。そして、型を落とし込んだ上でなお滲み出るのが個性、とはよく言われることだ。
とはいえ、自分はどんなことが得意で、何が売りで、何を表現したくて、何を目指すのか、がクリアでないと滲む個性も滲まなくなるわけだ。
わたしのハードルはこの「何が得意で、何が売り」かというところ。自分のことを受け入れきれなくて、悪い方ばかり目について、何がアピールポイントになるかわからない。
そのくせ「ちゃんとやらなきゃ」の思考だけは強くて、余計に(悪い意味で)型に嵌った、テンプレ的なことしかできなくなる。
自分の何が売りにできるのかをプレゼンできなければ、そりゃオーディションは落ちるんである。
そして、書きものに変な苦手意識があったのもこの辺りに要因がありそうだな、と、今これを書きながら思っている。
そもそも、子供の頃はなんだかんだ書きものが好きだった。作文で入賞したり、詩を書いたり、今よりも自由に楽しくものを書いていた。
ところが今となっては、冒頭の通りあれこれ言い訳して逃げる有様である。
「ちゃんとやらなきゃ」がいかに自分を縛っていたのか、違う、今でも縛り続けているのか。
いい加減鬱陶しいので早いところおさらばしたい。マジで。
自分沼にハマる
3月ごろに会った友人に、こんなことを言われた。
「自分をコンテンツ化して"沼落ち"すればいいじゃん」
曰く、数多ある推しをプレゼンするのが得意ならば、自分というコンテンツを推して、それをプレゼンする感覚でやれば、得意や武器を見つけることも、それを表現することもできるのでは?と。
わたしは超絶単純なので「ハーーーなるほどなーーー」と思って、自分コンテンツ化に向けてこうして、文章を書いている。
音声と迷ったが、スマホに何かしら文字を打ち込む、と、スマホに独り言を呟くなら前者の方が日常に取り込めるなと思って、文章にした。
かくして、noteリベンジ、そして自分コンテンツ化計画として、週一くらいで何かしら書き綴っていく予定である。
…この辺もゆくゆくはもっとしゃべり言葉にしていきたいんだなぁ、なんて思いつつ、まあ初回はこんなもので。
あくまで狙いは「自分沼」なので、その時に思いついたものをそのままに文章におこして読み返したい。から、推敲はしない。(Twitterですら読み返して推敲するけど、ここではしない)
そして、今のところは誰かに広く読んで欲しいわけではないので、タグはつけるけどSNSでの発信はしない。
自分による、自分のための、雑記たち。
このくらいラフにやっていきます。