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私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション110『篠(しーの)』

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作者駐:『私的国語辞典』は全文無料で閲覧が可能です。ただ、これらは基本『例文』となっておりますので、そのほとんどが未完となっています。基本的にそれらの『例文』は続きを書かないつもりではおりますが、もしどうしても続きが気になる方は、コメントいただければ前向きに検討させていただく所存です(←政治家か


私がその軽やかな笛の音を耳にしたのは、夕暮れ迫る河川敷で、堤防に上がる斜面に寝転がっていた時のことだった。
リコーダとは違う、どことなく物静かで懐かしい音色に、私は身体を起こして辺りを見回すが、周りには同じように斜面に腰掛けているカップルやランニング中の男性、広場でラクロスに興じている高校生の姿くらいしかなく、笛を吹いている人影は見つからない。

……いや、居た。
堤防を走る道路の縁で、着物を着たおかっぱ頭の女の子が横笛らしきものを吹いている。
その少女の漂わせている雰囲気に違和感を感じた私は静かに立ち上がると、気持ち良さそうに笛を吹く彼女に近づき、そっと声をかけた。

「……綺麗な音ね」

近づいた私が驚かさないようにそっと尋ねるが、彼女はそれでも驚いたらしく、ぴょん、と少し飛び上がってから私にそのまんまるくした瞳を向けてきた。

『お姉ちゃんは、私が見えるん?』

少女は口を閉じたままで私に問い掛ける。

「ええ、見えるよ」

私が当然のように応えると、少女はその表情をぱあっと明るくさせながら私に近づいてきた。

『わあすごいすごい。あたしを見てくれた人、初めてだ!』

私はそう言ってはしゃぐ少女をなだめながら、少女とともに斜面に座り直す。

「その笛、綺麗な音ね」

座ってからも嬉しそうにはしゃぐ少女に苦笑いしつつ尋ねると、『篠笛、って言うんだよ』と楽しそうな答えが返ってくる。

『おとうに作ってもらったんだ。あたしのお気に入り!』

そう言って笛を差し出す少女に、私はただ静かに首を振る。

「見えるだけで、触れることはできないのよ」

私が申し訳ない、という気持ちを込めて言うと、少女はなあんだ、と残念そうな表情を見せる。

「ごめんね。でも聴くことはできるんだ。だから、」

また吹いてくれないかな?と懇願する私に、少女は嬉しそうに『仕方ないなあ』と応えると、再び口に笛を当てて、軽やかな音色を奏で始めた。

(792文字)

しの [篠]
①篠竹(しのだけ)。「篠突く雨(=篠竹を束ねて突き落としたように激しく降る雨)」
②「篠笛(しのぶえ)」の略。 

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