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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(2)天皇はいばってる?①ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業①授業メモを見る 

 ではさっそくこの世界最大の鋳造物・奈良の大仏は授業の中でどう教えられてきたのか見てみよう。 

 最初に、終戦から八年目の1953年に実践された奈良の大仏の授業を紹介する。この年は1951年にサンフランシスコ講和条約が結ばれて占領期が終わり、日本が再び独立して3年目である。 

 以下の二つの感想文はこの年に金沢嘉市氏の奈良の大仏の授業を受けた子どもが書いたものである。ちなみに金沢は、戦後アメリカから持ち込まれた問題解決学習が全国を席巻していた時に、初めて系統的歴史学習を試みた人物として有名である。

 私のかんがえたことは大仏のことですが、大仏の目をかくとき、天皇が目をかかないで農みんたちがかけばいいのにと思う。
 聖武天皇はいくらお寺や大仏をつくっても、国民のことを考えないで、自分ばかりいばっていて、おぼうさんを大せつにしていて国民のことをなにも考えない。

 主役であるはずの聖武天皇はここでは「悪役」になっているようである。
 このような感想を書く子どもがいるということは授業の内容にこうした感想に結び付くものがあったと考えるのが自然だろう。この授業の記録は残っていないが、以下のような教師の授業メモが残されている。

奈良の大仏
1、「青丹によし奈良の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり」(万葉集)
2、美しい奈良の都は、唐の都、長安にまねて、よくつくりあげられた。碁ばんの目のようにきちんとした都。皇居、東大寺はじめ、目にまばゆいばかりの美しさ。外国に負けないような美しさ。
3、東大寺の大仏、聖武天皇が建てる。
「天下の富をもっている者は、わたしである。天下の勢力をもっているのも、わたしである」といったほどで、このような大事業を遂行していったのである。
仏教の力で国を治める。東大寺を建て、全国に国分寺をつくり、国々に置いた国分寺でその国を守護し、その国分寺の総まとめとして東大寺をつくる。これを建てさせたのは聖武天皇、東大寺をつくることに骨折った人は良弁。大仏はどのようにつくられたか
大仏師・・・国中公麻呂(百済からの帰化人)
大鋳師・・・高市大国
鋳型に銅をそそぎ、七年間かかってつくった。鋳型もつぎたしていった。聖武天皇は、もし生きている中にこれができあがらなかったら、死んでも生まれかわってつくる、といっておられた。
大仏開眼のようす(七五二年四月九日)①紅白のまく②おそなえもの③舞④開眼の筆とひも、その道具は今も正倉院に(東大寺と正倉院)。
その他の寺①唐招提寺(鑑真・・・盲目の僧)②薬師寺③新薬師寺④興福寺(阿修羅)⑤戒壇院(四天王)
かくて、美しい奈良の都は、多くの富、外国の文化を取り入れ、『古事記』『日本書紀』も完全にできて、天皇の政治のつよさが歴史的にまとめられていった。(金沢嘉市『金沢嘉市の仕事 3巻 授業を愛してー子供とともに学ぶ』あゆみ出版一118~125ページ)

 このメモだけ読むとどこにも聖武天皇が「いばっている」と教える要素は見当たらないが、一つだけ気になる箇所がある。3の引用である。

 天下の富をもっている者は、わたしである。天下の勢力をもっているのも、わたしである。

 この言葉は大仏建立の詔のほんの一部である。この部分だけ切り離して単独で読めば権力を誇示する「いばった」為政者のイメージになるに決まっている。じつは、この言葉の前後をきちんと読むとまるで違った印象になる。

 読めば聖武天皇はぜんぜんいばってなどいないことがわかるだろう。少々長いが全文を読んでみたい。問題の箇所は第三段落の冒頭である。この「廬舎那仏造営の詔」は天平十五年冬十月十五日に出されている。

  

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