レノン

『音楽金言集』(ミュージシャン編)

ネットで見つけたインタビューなどからミュージシャンの大先輩の方々の名言を抜粋。必然的に尊敬する達郎さんが多いですが、他の方々の発言も重要です。特に最後の坂崎さんの後半。

山下達郎『シュガー・ベイブ/SONGS』40周年インタビュー(2015年)

シュガー・ベイブのころもそう思っていたのだけど、やっていいこととやって悪いことをきちっと分けないと、オリジナリティーが出ないんだよ。そうでないと、ロックはただの風俗的発散になってしまう。

「みんな、ノってるーっ?!」っていうやつね。それを徹底的に否定していたから、快感原則でやってくる客には、まったく受け入れてもらえなかった。ステージでヤジられる。ヘタをするとモノが飛んでくる。金沢のイベントなんかでもほとんど拍手が来なかった。満員なのに、だよ。あの時代はトリが上田正樹だったり、ダウンタウン・ブギウギ・バンドだったから。

まあ、あの時代はホントにサブカルだったからね。観客もそういう反応のしかただった。とっかかりがそうだったから、今でもそういうサブカル意識は自分の中に濃密に残っている。なるべく情報を拡大させたくない。あまり間口を拡げると、ウソが出てくるから。僕の考え方はそうなんだけど、メディアはそう思わないんだよね。10万枚より200万枚売れるもののほうがエライって思ってる。ライブ・ハウスより東京ドーム。

だけど、たとえば、三遊亭円朝。彼が日本の文学にどれだけの影響を与えたか。毎日、寄席で100人前後の客を相手にしていた文化なのに、なぜ後世にそれほどの影響力があったのか。それは、彼の落語を記録した速記本があったからだよね。誰が感応して何を残すか。それが大きいんだ。

山下達郎×大貫妙子(2015年)

大貫:山下君とは音楽以外でも、いつもいろいろ話していたし、文章も上手い人だったから。歌詞が書けないわけないと思っていたし、実際、書いてくる歌詞は好きでしたから。たとえばありふれた言葉でも、東京という街で生まれた空気というのが伝わってくる。そういうアイデンティティが大事なんですよ。「夏の終わりに」の「つるべ落としの秋の始まり~」なんて、当時は、なかなか思いつかないですよ(笑)

私、車に乗ってラジオを聞きながらよく思うんだけど、最近多いです「なに、この女々しい歌詞!」って、男子よ頑張れ(笑)

山下:哲学性が希薄になっているんだよね。どんどんお手軽になってきた。

大貫:なんかこう・・・サークル活動みたいな感じの歌詞。若いうちはいいけれど、その先に行ってもそれ歌えますか?と思いますよね、よけいなお世話かもしれませんけど。私たちの若い頃は本もたくさん読んでいたし、それを自分の中で咀嚼して歌詞にするようなことは当然のようにしてましたよね。

山下達郎『OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~』インタビューより(2012年)

その時代のライブって言うのは全てCDを売るための販促活動の一環だった。これからはそれが逆転して、ライブの為のCDになってくると思います。だから来年あたりはライブマターに貢献するCDを考えないと。ライブで演奏することを想定した作り方、つまり『MOONGLOW』に戻っていくという事ですよね。

そういう意味ではライブの販促で販売するマターとしては、CDパッケージが消え去る心配はそんなにないんですよ。何年持つかはわかりませんけど。
そこにCDないしパッケージがあれば買いますよ。そこにあれば買うんだから。そこに行くのが面倒臭いだけで。

演歌のディナーショーでパッケージが凄まじく売れるのは、「大人がパッケージが好きだから」ではなくて「そこにあるから」なんですよ。そして普段はその人たちはCDを買ってないんです。でも、ライブを観てCDが欲しくなるのはしごく健全なんですよ。

山下達郎100Qより(2011年)

Q:ライブで演奏していて楽しい曲は?
「自分の曲を楽しんで演奏したことなんて、一度もないですね。人に聴かせるものだから、自分が楽しんでちゃいけないので。しかも僕はバンマスだから、ずっと後ろのことを気にしてるんですよ。あいつ、ちゃんと段取り通りやってるかな? って」

Q:音楽を志す若者へのひと言。
「プロになりたいんだったら、契約概念を把握しておくこと。金の話を避けて通ると、あとで必ず、大変なことになりますから。音楽的なことで言えば、自分がやりたいことをどれだけ貫徹できるか、ですね」

Q:嫌いな言葉は?
「アーティスト。自分が言われるのも嫌だし、口にするのも嫌い。いま日本で使われてたり、メディアが言ってるアーティストは、本来の意味じゃないですからね」

「山下達郎が語る仕事」より(2011年)

この世界は見切りが早く、3年くらいやって芽が出ないと簡単に切り捨てられてしまう。レコード会社の責任もありますが、プロとしてお金を稼ぐというのはどういうことか、趣味でやるのと何が違うのか、若い時から考えなくてはいけないと思う。「俺はいい曲を書ける天才だ」といくら言ってみても、それにお金を払ってくれる人がなければ自称にすぎない。逆に500円でも千円でもギャラをもらえば、金額に関係なくプロフェッショナルの責任と権利が生じてくる。

 「夢は必ずかなう」という言葉が独り歩きしている時代ですが、僕は「夢はかなわない確率のほうがずっと高い」と思う人間です。ですから、懸命に努力し、その結果夢がかなわなかった時にはどうするのか、それをも想定して仕事をするべきではないか。「夢」は魅力的で力があるけれど、あくまで結果であって、夢を最初から暴走させてはいけないのです。

根本 要 スターダスト・レビュー(VO/G)(2001年)

つまり、売れることだけ考えてたら、音楽は諦めるのが早くなっちゃうから、売れるのは一握りなんだから、そうならない可能性の方が高いから、でもそれでもいいんだよっていうことですよ。

そこで音楽をやめさせちゃいけない。音楽は売れる売れないじゃなくて、やりたいかやりたくないかなんですよ。「バンドはなんで続いているんですか」ってよく聞かれるんですけど、音楽をやりたいからですよ。やりたいから続けてるんです。「なんで解散しないんですか」って「解散する必要がないから。やりたいから」なんですよ。解散してしまったバンドは、「やめよう」って言ってしまったんでしょうね。やめようって言わなかったらバンドは続いていくはずですよ。

中村 紘子 ピアニスト(2009年)

中村:今の日本は既にそういう傾向にあって、みんな達者に弾くのだけど極限まで突き詰めるみたいなことはアホくさくてしないですし、そういう精神の極致のような昴まりを生活の中で必要としない。だから、お父さんお母さんにかわいがられて美味しいものを食べてガールフレンドがいて・・・みたいなことで満足してしまう。

ピアノはハングリーじゃないとダメなんです。ボクシングと同じです。言い換えると人間はこの現実社会で満たされない夢を何かに託すことがエネルギーになるんですよね。ところが夢というのは現実に美味しいものを食べちゃうと、案外たやすく満足してしまうものなんです。

だから大昔、学生運動が盛んだったころに面白いことを言う人がいて、「あの連中に3日間美味しいモノを食わせて、いい洋服着せたらもうすぐに転向するよ」。経験からその人は言っていたんですけど、それは事実かもしれません。

もう、強迫観念に追われているだけです(笑)。だから絶えず「あれをさらっとかなきゃ」と朝から寝るまで思っているわけです。ちょっとでも時間があればピアノを弾いています。でも本当に正直なもので30分でもやればやるだけのことは確実にあるんです。だから決してその練習というのは無意味じゃないんですね。

渡辺 貞夫 ミュージシャン(2009年)

渡辺:だからよくないんですよね。僕らは「ここからここへ行くにはどうしたらいいんだろう?」とわからないながらも何百回何千回と吹いて体で覚えましたよね。ところが今は「ここからここへ行くにはこうやって歩いて行けばいいんだよ」「ああそうですか」って先に頭で理解してしまってそれでお終いなんですよね。やはり普段から楽器に親しむことが大切なんじゃないでしょうかね。

坂崎幸之助(2013年)

 誰に教えられたわけでもなく、僕は学生の頃からプロのミュージシャンはどんな曲でも弾けなくてはいけないと信じていました。だから好きなアルバムを手に入れる度に丸ごとコピーします。例えばイーグルスなら、ギタリストのドン・フェルダーが抜けても自分が弾いている妄想で聴き、かぐや姫ならギタリストの伊勢正三になりきって弾き、彼が都合で出られない時は代わりに弾けるようにと練習していました(笑)。

等身大のメッセージが本当にいいのか
 エンターテインメント分野でやるべき仕事とは何か。それは、歌も含めて、日常から少し距離を置いた価値観を提供することではないか。僕はそう思っています。かつて聴いてきた音楽は、親も学校も話題にしないような社会があることを教えてくれたし、恋愛や人生にも様々な視点や陰影があることを知らせてくれた。価値観を動かす夢やインテリジェンスがあったと思うのですね。

 しかし、自戒も込めて、今の音楽はそれを追わなくなったと感じています。若い人が作る言葉も、現実の狭い体験の中から紡ぎ出す身近なアイテムやメモのような、歌にするほどの力がないありふれたメッセージが多い。作り手はそれを「自分の歌」と思い、聴き手も共感する音楽だと言えば聞こえがいいけれど、音楽産業の中でビジネスとして消費しやすい形にさせられただけではないのでしょうか。

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